20111225

クリスマスの過ごし方 後編


 当然だけど、クリスマスだっていつもと何も変わらない朝がやってくる。
 あたしはいつも通り起きて、身支度して、軽くニュースを流し見して朝ごはんを食べて、出勤する。
 出勤途中のあちこちではクリスマス気分を味わえたけど、ブルーグレイのドアを開ければ、そこはクリスマスなんて無縁の世界だった。
 ・・・と思ったけれど。
 シンプルで飾り気のない事務所に、カラフルなカードが飾ってあった。
 週末に、まどかさんからクリスマスカードが届いていたのだ。
 ナルははっきりそうと言ったわけではないけれど、その時の会話を思い出すに、どうやらナル個人にも自宅宛てでクリスマスカードが届いていたようで、まどかさんはあたしの家の住所が分からなかったから、事務所にあたし宛てとしてカードを送ってくれたようだ。
 クリスマスカードなんて初めて貰った。カラフルな色使いの台紙に、柔らかい雪景色。優しい顔のサンタがほほ笑んでいた。メッセージの最後には「よろしくね」と書いてあった。
 あたしは何となく自宅じゃなくて、事務所のデスクに大切に飾った。もちろん、今日はクリスマスだから持って帰って、今度は大切にしまっておくつもり。
 次は、ルエラさんからメリークリスマスの国際電話が来た。
 ルエラさんは少し日本語が分かるので、あたしも少し話した。国際電話であたしなんかが長話をするわけにはいかないので、比較的すぐに所長様に変わった。所長様は所長室で電話を受けたので、どんなことを話したのかはわからない。
 英語でメリークリスマス、と言われて、無性に嬉しくなった。
 電話の直後にお茶を差し入れたとき、何気なく天下の所長様にそれを伝えたら、
「くだらない」
 と一言で返された。
 それが午前中のできごと。
 その後はいつも通り淡々と仕事をした。二度ほどお茶もサーブした。

 日も暮れかけた頃、ブルーグレイのドアが開いた。
 本日初めてのお客様は、ベースを愛する破壊僧と、植物を愛する自称巫女のお二人だった。
「メリークリスマス!」
 にぎやかにやってきた二人は、―――いや、ほとんどはぼーさんが、手にいっぱいの荷物を抱えていた。
「ここのケーキ、おいしいのよ」
 綾子が唯一持っていたのは、某有名お菓子屋さんのケーキだった。
 小さい、けどワンホールのクリスマスケーキ。
 フェルトのようなものでできたクリスマスツリーと、かわいいサンタとトナカイの砂糖菓子が載っているチョコレートケーキだった。
 おいしそうなそのケーキを前に、お茶を淹れるからと言ったら、綾子は予定があるから今日はすぐ帰るわ、と言った。
 少し寂しそうな顔をしていた気がした。
 少し寂しそうな顔を、あたしがさせたのかもしれない。
 言葉通り、ケーキを置いて綾子はすぐに帰って行った。
 ぼーさんが抱えていた荷物は、タンドリーチキンとローストビーフに、バケットが入っていた。
「綾子が作ったんだと」
 俺はただの荷物持ちなの、とぼーさんは笑った。食欲をそそる匂いがしていた。
 ぼーさんはアイスコーヒーを飲んで一時間ほど居たけれど、帰って行った。

 そして今。
 外は真っ暗で、もうすぐ終業時間だ。
 自分には関係ないと思っていたクリスマスだったけど、カードをもらって、本場のメリークリスマスが聴けて、おいしそうなケーキにタンドリーチキンにローストビーフにバケットを手にしている。
 思わずにやにやしてしまう。
 帰ったらおいしいものが待っているなんて、すっごく幸せなことだと思うんだよね。
 さ、ここまでまとめたデータを保存して、あとはワープロの電源を落とすだけ―――
 そんなときに、事件は起きた。

 バチンッ

「?!」
 突然、事務所の電気がすべて、一斉に消えた。
 あたしはデスクに両手をついて、そろりと立ち上がった。視界が利かない。
 ドアが開いた音がした。方向的に所長室だ。
「大丈夫か?」
 ナルはそれだけ言って、恐らく資料室のドアを開けた。ほどなくして、手元に明かりを持って戻ってきた。懐中電灯だ。
「停電かな・・・?」
「そうだろうな」
 心なしか、不機嫌そうな声音でナルが答える。
「麻衣はもう帰っていい。この状況なら仕事もできない」
「ナルは?」
「僕は残る。復旧しないとセキュリティーがかけられない」
 なるほど。
「あ、でも停電なら地下鉄も止まってるかもしれないよね?」
「たぶん大丈夫だろう。外を見てみろ」
 言われて外を見てみたら、なんと普通に電気が付いている。
「おそらくこのビルだけ停電しているんだ」
「・・・すぐ復旧するかな?」
「どうだろうな」
 管理会社がすぐに気づけば早く復旧するだろうし、そうでなければどれだけ待つか想像もつかない、ナルはそう言った。
 あたしはそんなナルの声を聞きながら、恐ろしいことに思いいたっていた。
「ナル、ワープロ、保存した瞬間に停電したんだけど、きちんと保存されてると思う・・・?」
「・・・・・」
 暗くてよく分からないけれど、溜息をついたことだけはわかった。
「どうだろうな、確認してみなければ分からない」
「だったら確認するまで帰らない」
「・・・ご自由に」
 ナルには言えないけれど、今日一日分の働きが掛かっていた。
 ああ、どうして途中で保存しなかったんだろう・・・
 暗い中、盛大に落ち込んでみる。恐らくナルにあたしのこの落ち込んだ顔は見えていない。
 ナルは無言で立ち上がり、所長室へ入って行った。応接室から明かりがなくなる。さっきは急に暗くなったので気付かなかったけれど、よく見ると外の光がぼんやり入ってきているから、真っ暗ではない。
 ナルはすぐに戻ってきた。
 その手に分厚い本を抱えて。
「この中で読むの? 目、悪くするよ」
 ナルは一度本を開いて、諦めてすぐわきに置いた。そりゃ見えないでしょうとも。
「管理会社の人、気づいてるかな」
「さあな」
「どれくらいかかるかな」
「さあな」
「・・・なんだか寒くない?」
「暖房も切れてるんだろう」
「お茶、淹れようか? ポットに残っているお湯、少しぬるくなってるかもしれないけど・・・」
 暗かったけれど、ナルの頷いた雰囲気が伝わった。

 お茶はまだ温かかった。魔法瓶てすごい。
 お茶を淹れるときに、ナルはもう一つ懐中電灯を持ってきてくれた。調査の時に使っているものだから、何本かあるのだ。
 ただ、懐中電灯を持ってきてくれたものの、もちろん持って照らしてくれることはなかった。あたしは見やすい位置に懐中電灯を置いて、間違ってやけどしたりしないように、そろりそろりとお茶を淹れた。
 その間ナルは応接室にいた。
 懐中電灯は二つあるのだから、所長室にさがることもできるわけで。
 ナルの優しさは、相変わらず難しい。

 お茶を飲んで温まっていると、あたしのお腹がなった。
 暗い静かな事務所で、その音はいやに響いて、それはそれは恥ずかしかった。
「あの・・・ほら、もう、夜ごはんの時間だし・・・」
「食べれば」
 すっかり暗闇に慣れた目は、ナルが顔を向けた方向もはっきり捉えた。
 綾子の差し入れてくれたクリスマスディナーがそこにはあった。
「ナルも・・・バケットなら食べられるよね?」
 差し入れの内容を思い出す。バケットのほかはタンドリーチキンにローストビーフにケーキ。菜食主義のナルが食べられるものは、バケットしかないけれど・・・
「いらない」
 にべもなく断られた。
 少し考えたけれど、もう一度お腹が鳴ったので、遠慮なくいただくことにする。
「うーん、おいしーい!!」
 さすが綾子。これは帰ったら電話しなければ。ん、いや、予定があって家にはいないかな。
 おいしい、これもおいしい、言いながら食べたけれど、もちろん何の反応も返ってこなくて、最終的には黙々と食べた。
 しばらく沈黙があった。
 ナルは読書もできず、ただただ黙って座っていた。退屈なんじゃないかな。
「あ、そうだ、クリスマスカード。忘れないようにカバンに入れておかないと」
 立ち上がり、自分のデスクに向かう。
「あたし、クリスマスカードを貰うのって初めてなの。日本では送り合う風習なんてないし」
「日本には年賀状があるだろう」
「うん、似てるんだよね。あたし、まどかさんに年賀状出すね」
 遠く海を渡ってやってきたクリスマスカードをそっと撫でる。
「ナルはクリスマスカードを送るの?」
「いや。仕事上送ったことにはなっているけど」
「ふうん・・・」
 なるほど、イメージ通りだな。
「ジーンは、いつもたくさん送っていた」
「・・・・・」
「あいつはクリスマスが好きだと言っていた。カードはたくさん送るし、プレゼントもたくさん用意してた。家族で囲んでディナーを食べることを何よりも楽しみにしていた」
 ナルからジーンの話が出るのが珍しくて、あたしは黙って聞いていた。
「僕は興味がなかったから部屋にこもっていたけれど、いつも連れ出された。ひとりでクリスマスを過ごすなんて許さないって。ルエラもマーティンもそれを望んでいたようだった」
 普段は静まり返っても機械の音や、暖房の音が聴こえる。けど、今日は何も聴こえない。
 ナルの声しか、聴こえない。
 ひとりでクリスマスを過ごすなんて、許さない・・・
「じゃあ、今日、あたしナルとクリスマスを過ごせてよかったなぁ」
「はい? 仕事でご一緒していただけですが」
 冷たい一瞥が返ってきた。かわいくないヤツめ。
「それでも、今日がお休みだったりしていたら、ナルはひとりで過ごしていたわけでしょ? 仕事だとしても、だれかと一緒に過ごせるクリスマスの方がいいじゃない」
「意味がわからないな。そもそも僕は、クリスマスに興味がない」
「もー!」
 ほんとうにこの御仁はっ。
 すっかり冷めた紅茶を流しこんで、あたしの留飲も一緒に飲み下す。

『まい、ありがとう』

「え?」
 あたしの声に、ナルは不審そうな顔を返してきた。
 今、声がした。
 聴き慣れた・・・、ううん、違う。この優しい声音は・・・

 ヴンッ

 暗闇に慣れた目に、急に点いた照明がまぶしかった。
 ふと見たら、ナルも目を細めている。
「なににやけてるんだ。チェックしたら帰るぞ」
「はーい!」


 外に出たら、雪が降っていた。
「ナル、ホワイトクリスマスだよ!」
 これは、今年最後のプレゼントだろうか?
 結局、今日一日のデータはフロッピーディスクにしっかり記録されていた。ナルにはさすがだなと言われた。はい、第六感のオンナですから!
 今日起こったことを思い起こす。
 なんだかいろいろ嬉しかった。
「ねぇ、ナル」
 ナルの顔を見た。
 綺麗な綺麗な、整った顔。
 あの人と同じ顔。
「メリークリスマス」
「・・・メリークリスマス」
 返ってきた声は、決して優しくない無愛想なナルの声。
 顔がそっくりでも、声音がそっくりでも、やっぱり違うんだよなぁ。
 どうして間違えたんだろうってくらい、似ていないのに。
「あー、あたし笑える。だいじょうぶ、笑える〜」
 ジーンのことを考えても、もう悲しくならない。あの時のあたしに戻らない。
 少しずつ進んでるんだ。
「ついにおかしくなったか」
「ついにってなんだよっ、失礼な!」

 雪がしんしんと降っていて、寒かった。
 それでも心があったかくて、幸せな気持ちだった。




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