20121101

その責任(1)


 その責任は、明らかにあたしにあった。



 ふと見上げると、青い空に、白い雲。
 これからぐんと暑くなるのがわかっていて、でもまだ涼しい季節。思わずぎゅっと目をつぶって、ぱっと開きたくなる、そんな景色。何かが始まりそうな、わくわくする感覚。
 いま確かなのは、「何かが始まる」ではなくて、どちらかと言えば「終わる」・・・に近い「休む」なんだけど。
 調査が無事終わり、撤収作業の真っ最中だった。
 大掛かりなものではなかったが、SPRのメンバーに、ぼーさんと綾子を招集したいつものパーティで、調査はいつものように滞りなく終了した。
 いつもと違うのは、今日であたしが「いつものパーティ」から抜けるということだ。この調査が終わったら、バイトの日数をぐっと減らすことが決まっている。事務所通いは週に一度、そして調査には来年サクラがサクまで同行しない予定になっている。一応あたしも受験生になった。そんなに理想の高いところは志望していないけれど、今までのペースで続けていくのはさすがに辛い。
 生活費の方も多少辛くなるわけだけども、そこはこれまでの蓄えでしのげる予定。そのためにこの半年は今まで以上に意識して節約生活もがんばってきたのだ。
 クビにされるでもなく、あたしの都合や事情を優先してくれるSPRには、本当に頭が上がらない。
「受験が終わるまでバイトを休めば」
 バイトの日数を減らしたい旨を伝えたとき、いつものようにファイルをくくりながら、目線を上げもせずにボスはそう言った。とくに驚いた様子がないのはあたしが言い出すことを予想していたからか、そもそもとるに足らない内容だったからなのか、相変わらずの無表情からは読み取ることができなかった。
「休んだら、ほかの誰かを雇う?」
「・・・別に。今はそこまで人手に困っていないから」
 なんせ、百人力の安原さんがいますからね。と心でつっこみながら、あたしは考えた。
「でしたら、週に一度、働かせてもらえませんか・・・? そういう働き方は迷惑?」
 ナルは初めてちらりと視線を寄越して、どうぞ、とだけ呟いた。
 週に一度でもバイトに出られたら、生活費の面でも確実に助かる。それほど受験に追いつめられているわけではないし、正直なところ週に一度、安原さんやリンさんや、ナル、とか、運が良ければほかのメンバーにも会えるかもしれなくて、そうなると受験の息抜きにもなるかな、なんて思ったのだ。
 そんなこと、口が裂けてもボスには言えないけれども。
 もちろんもちろん、あたしのできる全力を、週に一回のバイトで出し切るつもりではある。
(この、調査終わりの複雑な感情とも、しばらくお別れなんだなー)
 そんなこんなもあって、別にバイトを辞めるわけではないのに、あたしはなんだかセンチメンタルな気分になっていた。
 すっかり慣れた撤収作業を黙々と行いながら、時々空をみたり、こっそり思いに耽ってみたり、そんなことをしていた。
 だから、ふとしたタイミングでぼーっとしていたのかもしれない。あり得ないミスだった。
「麻衣!」
 強い口調で名前を呼ばれて、え、と思った。すぐに目の前が暗くなって―――

 ガタッ、ガシャーーン!!

 強い力で押し倒された。あたしは目を見開いたけれど、視界にはなにも映らなかった。
「麻衣っ、ぼーずっ!」
 綾子の声が近くで聞こえて、そこで初めてあたしの視界を遮っているものがぼーさんの体なんだということに思い至った。さっき、麻衣、と呼んだのはぼーさんの声だった・・・?
「ちょっと、大丈夫なのっ」
 ぱたぱたと足音が近づく。
「いってぇ・・・おい、麻衣、大丈夫か」
 あたしに覆い被さるようにしている人物の声は、間違いなくぼーさんだった。
 ようやく状況が飲み込めてきて、一気に体中の血の気が引く。ふと目に入ったあたしの右手には血が付いていた。けど、これはあたしの血じゃない。ぼーさんにとっさに触れたあたしの手が、真っ赤に染まっているのだ。
「ぼーさんっ、血が、血が・・・!」
「こんなの大丈夫だから、麻衣こそ怪我は?」
 綾子がひっぱってくれて、あたしは立ち上がる。見たところ怪我はなく、痛いところもない。
「麻衣は大丈夫そうね、ぼーずは?」
 安原さんはぼーさんの脇を支えてゆっくりと立ち上がらせようとしていた。しかしどうやら足が痛いらしく、ぼーさんはうまく立ち上がることができなかった。
 体を起こしたぼーさんから、ぱらぱらとガラスのかけらが落ちる。
「滝川さん、大丈夫ですか」
 音を聞きつけたのか、リンさんが駆けつけてきた。
「いやー、悪ぃ、帰りの車、運転できるかちょっと怪しいかも」
 へらりと笑ったぼーさんに、いつからいたのかナルが静かな口調でこう言った。
「そんな心配はいい。リン、車を出してくれ。ぼーさんを病院へ」



「怖い顔してますよ」
 安原さんに声をかけられて、あたしは運んでいるコードを必要以上にぎゅっと握っていることに気がついた。
「もう少しで撤収作業も終わりです。そしたら、様子見に行きましょうね」
 いつもは効果絶大の安原さんの笑顔も、このときばかりは何の効果もなかった。
「いま積める分はそれで全部ですよね?」
「あ、はい。さっきあたしが倒した分は、まだナルがチェックしていて・・・。それ以外は全部運んできました」
 安原さんはひょいとバンの荷台から飛び降りる。
 病院へはリンさんが運転し、綾子がついて行った。残ったのはあたしと安原さんとナルで、撤収作業を続けている。
「滝川さんも笑って言ってたじゃないですか、こどもじゃないんだから、そんなみんなくっついてくる必要ないって」
 ぼーさんは運転手としてのリンさんだけで十分だと言い張ったけれど、体格のいいぼーさんをリンさん一人が支えたくらいでは足下がおぼつかなかった。綾子は付き添いを名乗り出、同時にあたしも名乗り出たのだけど、残りの撤収作業の量も鑑み、撤収作業を手伝わない綾子は付き添い、撤収作業の人手としてカウントされているあたしは残ることになったのだった。
 正直気が気じゃなかったけれど、病院へはあたしが行かなくても事足りていて、残っている仕事を投げ出すわけにもいかない。ついて行きたい気持ちはぐっとこらえた。ここはあたしがわがままを言える場面ではない。
「出血、すごかったですよね・・・」
 握っていたコードをまとめ、車へと積み込む。
「まぁ、かすり傷ではないかもしれませんが。大丈夫、男の傷は勲章ですよ」
「・・・・・・」
 血が出ていたのは多分背中だった。落ちてきた機材を背中で受け止めたからだ。重さもある機材だから、骨はどうだったろうか。うまく歩けなかったのだから足も間違いなく痛めている。本業の商売道具である腕はどうだったろう。もし、もしも後遺症が残るような怪我でもしていたら・・・
 考えれば考えるほど寒くなった。
 あたしをかばったせいで。
 あたしがぼーっとしたせいで。
「麻衣、チェックが終わった。あっちの機材も積み込んでくれ」
 背後からかかった声は、ボスのものだった。
「どうだった・・・?」
 恐る恐る尋ねると、零度の視線がまっすぐあたしに向けられる。
「モニター一台は大破、修理できるかわからない。マイク類は傷はついたけれど大丈夫だろう」
「すみませんでした・・・」
「どんなに馬鹿なら機材を積んだままシルバーラックを解体するんだ」
「・・・ほんとうに、ほんとうにすみませんでした・・・」
「リンが怪我をしたことをもう忘れたのか。次はないぞ」
「はい・・・」
 そうだ、あたしは前にも一度、機材をだめにしたことがある。そしてその時は、リンさんに怪我を負わせた。
 あたしはため息をついた。安原さんは何も言わなかった。けれど、慰めるように優しい顔をしていた。
「さあ、行きましょう。もう一息で滝川さんに会いに行けますよ!」
「安原さんは優しいですね・・・」
 先に歩き出した安原さんが、ふと振り返る。
「ぼくは優しくなんかありませんよ。ただ、怒る権利のある人が怒ればいいと思っているだけです。やりたくてやったわけじゃないのは誰が見ても明らかですし、反省している人に対して責めたり、反省しろなんて言う必要はないでしょう。それはぼくの担当じゃありませんから」
「・・・・・・」
「そんな顔しないでくださいよ」
 ふふふ、と安原さんが笑う。
「じゃあ、もしあたしが安原さんに怪我を負わせるようなことがあったら、怒ってください・・・」
「ずいぶん縁起の悪いこと言いますね。それと、なにか勘違いしてるようですけど、今回の場合は滝川さんだって怒る権利はあまりないと思いますよ。だって、言っちゃえば勝手にかばったわけでしょー」
 すぐに事故現場に到着し、あたしたちは作業を始める。
「怒る権利がないとは言いませんけどね。あの人は怒らないでしょたぶん。一番怒っていいのはミスによって貴重な機材を壊された渋谷さんでしょうね」
 安原さんは粉々に砕けたモニターを見ながらもったいない、とため息をついた。つかめるサイズの破片を慎重に拾いながら、横に敷いた新聞紙の上へ乗せて行く。あたしは細かい破片をガムテープでぺたぺたと回収し、同じように新聞紙の上へ重ねる。
「と、言うわけで、ただただ落ち込んで反省してるだけじゃだめですよ、しっかり機材の損失分は稼がないと!」
 あたしは顔を上げた。
 そうか、安原さんは慰めてくれているのか。
「はい、谷山麻衣、しっかり働かせていただきます!」
 そうだ。独りよがりな反省なんて意味がないんだから。


 





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