その責任 (2) ぼーさんたちから2時間ほど遅れて病院へ着くと、待合室にはぼーさんもそしてリンさんもおらず、綾子一人の姿しかなかった。 病院は整形外科のみの個人病院。待合室はこじんまりとしていて、玄関を抜けてすぐ、あたしは綾子の後ろ姿を見つけることができた。ただ、ここがもしも大きな総合病院でも、あたしはすぐに綾子を見つけられたと思う。それほど綾子の座り姿は背筋がまっすぐに伸びていてきれいだ。 「綾子・・・」 あたしは気持ちそのまま、足早に綾子のもとへと向かう。すぐに気づき、綾子も振り返った。 「早かったわね」 「ぼーさんは?」 「いま処置室。足首のねんざと、背中を数針縫う怪我だったみたい」 「腕は?腕はなんともなかった?」 あたしは相当必死な顔をしていたのか、綾子はふっと鼻で笑って答えた。 「大丈夫よ。ま、しばらくは背中が痛くてベースどころじゃないでしょうけど、それくらいじゃない」 「松崎さん、リンは?」 「幸いねんざはそう酷くないみたいなんだけど、なんせ背中も縫う程度に怪我をしてるわけだから歩きにくいらしくてね。リンが付き添ってる。・・・とりあえずあんたたちも座んなさいよ。もう少しで出てくると思うから」 綾子に促され、あたしたちは腰を下ろす。 あたしは綾子の隣に、安原さんはすこし間をおいて同じベンチに。ナルは斜め後ろのベンチに座った。もちろんすぐにファイルをめくりだす。 あたしを挟んで綾子と安原さんはぽつぽつと話していた。どれほど待ったか、本当はほとんど待っていなかったのかもしれないけれど、あたしにとってはそれはとてもとても長い時間だった。 「あら、みなさんお揃いで」 リンさんに支えられたぼーさんは、右足はぐるぐるに固定され、首元にもやっぱり包帯が見えて、とにかく痛々しかった。 「処置は終わったの?」 「おう。あとは会計だけ」 綾子はすぐに立ち上がって、ぼーさんに座る場所を譲った。待合室は混んでいなかったから、別に綾子が席を譲らなくても座る場所なんてたくさんあったんだけど、ぼーさんはおとなしくそこに腰掛けた。 「なんだか吉見家の調査を思い出しますねぇ」 「あんときは少年も大けがしたもんなぁ」 「いやいや、対したことないですよ、あれくらいの傷のひとつやふたつ、男の勲章ですから」 「言うねぇ」 「確かに、男の傷は悪くないわよね」 「お前さんまで」 そこでぼーさんは後方のナルへと視線を移す。 「ナルちゃんまで来てくれちゃって。すまんねぇ」 「仕事中の事故ですからね」 「あーなるほどね。もしかして、労災がおりるのか?」 一歩引いてぼーさんを取り巻く会話を眺めていたあたしの背中を、綾子がとんと押した。 「ほら、麻衣。言いたいことあるんでしょ」 「!」 きっかけをくれたのだ。 「あの・・・ごめんなさい!」 あたしは深く頭を下げた。プロとして、仮にもお金をもらって調査員をしている身としてしてはならないミスで、他人をけがさせてしまった。この責任は重い。 「なーに、いいのいいの。たいしたことないって」 「あたしにできることはなんでもするから!」 「ほんと大丈夫。足だって折れてるわけじゃないんだから」 「ううっ・・・、ぼーさん、ほんとにごめんなさーい」 「ちょっ、麻衣、いてっ、おいっ!」 抱きついて、涙腺が緩んだあたしはおいおい泣いてしまった。ここで泣くのは卑怯だと思ったけど、ここなら我慢しなくてもいいんだと、心のどこかで思っていたのも確かだった。 帰りは、リンさんとナルが事務所のバンに乗り、ぼーさんの車は安原さんが運転してあたしと綾子とぼーさんで乗る、という変則的な構成になった。 「少年の運転する車に乗るの初めてだなー。うまいな」 「ぼくがバンを運転することはあっても、それに滝川さんが乗り込むことはないですもんねぇ」 ぼーさんが言う通り、安原さんの運転はなめらかでやさしく、乗り心地のいいものだった。あたしは何度か安原さんの運転する車に同乗したことがあるけれど、今日のそれは普段より穏やかかもしれないと思った。ここは怪我をしているぼーさんへ気遣っての面もあったのかもしれない。 ぼーさんは、綾子とあたしを家に送ってから家に向かうと言ってくれたが、ほぼ通りがかりの綾子はそうしたものの、逆方向になるあたしは辞退した。あたしなんかを送ってもらうより、少しでも早くぼーさんは休むべきだ。 ぼーさんの部屋へは、いや、正しくはぼーさんが契約している駐車場へは、綾子を降ろしてからそうかからずに着いた。 「こんなところに駐車するの?」 「そ。部屋までちょっとあるけど、駐車場がなくてね」 安原さんが降り、助手席のドアを開けてぼーさんが降りるのを手伝う。今回は泊まりの調査だったので少ないながら手荷物もあり、あたしは運ぶ係りを名乗り出た。安原さんの分も持つつもりでいたけれど、そこは安原さんに固く断られたため、自分の分と、ぼーさんの分の二人分を持つ。 そして、あたしは驚いた。 「・・・ビル?」 ぼーさんに案内されて着いた先は、マンションというよりも、オフィスビルだった。見た目だけかと思えば、入ってみてもやっぱりオフィスビルだった。守衛さんがいる。会社案内が出ている。 「おや、どうしました?」 ぼーさんとは顔なじみと思われる守衛さんが、気安く声をかけてくる。 「ちょっと怪我しちゃって」 「大変ですねぇ」 あたしと安原さんは軽く会釈し、エレベータへと進む。 「ここに、ぼーさんの家があるの?」 「そう」 「ぼくも外観だけは見たことあったんですけど、中に入ったのは初めてです。まるで普通のオフィスビルみたいですね」 上のボタンを押しつつ、安原さんも興味深げに周りを見ている。 すぐにエレベータが到着し、あたしたちは乗り込んだ。 「何階ですか?」 「12階」 ボタンを見る限り、最上階だ。 そしてあたしは、再び驚くのである。 「!!!!!!」 住所は以前交換していた。いい場所に住んでるんだな、くらいには思っていた。けど、まさか、ここまでとは。 エレベータが止まり、あたしたちが降りると、正面にはガラス張りのドアがあった。ここもやっぱりオフィスのような作りだった。そこには、「TAKIGAWA」の文字。 あたしは一応右と左も確認した。間違いない、どうやら、12階にはこの部屋しかないようだった。 「ここに、住んでるの?」 「そう」 「すっごい・・・」 「スタジオミュージシャンて、こんなに豪華な暮らしができるんですね・・・」 さすがの安原さんも驚いた様子だった。 「うんにゃ、スタジオミュージシャンの稼ぎで住んでるわけじゃないんだけど。ま、いろいろ事情があってねー。麻衣、かばんちょーだい。鍵出すから」 「あ、はい」 ぼーさんが鍵を取り出し、解錠したところまで見届けると、安原さんはゆっくりとぼーさんの肩を降ろした。 「じゃあ、ぼくたちはここで帰りますね。それとも、部屋の中までお手伝いした方がいいですか?」 「いんや、部屋の中は大丈夫。助かったよ。なにも構えねぇけど、おちゃでもどー?」 「ぜひぜひこの豪邸のお部屋の中も拝見したいところですが、今日は辞めておきます。またお邪魔させてくださーい」 「そう? じゃあ、気をつけて帰ってな」 正直あたしは後ろ髪を引かれる思いだったのだけど、どうやら安原さんはあたしに口を挟ませる気はないらしく、あれよあれよとエレベーターに乗り込んでしまった。 「ぼーさん、ほんとうにごめんね!なにかあったら手伝いにくるから、電話してね!」 「さんきゅー」 ひらひらと手を振るぼーさんが、エレベータのドアに阻まれて細くなり、消えた。 「・・・・・・」 なんだか納得できずに安原さんを仰ぎ見ると、安原さんはため息をついた。 「ちょっと、熱があったようでした」 「!」 「恐らくねんざからくる熱なんじゃないかと思いますけど。少しでも早く休んでもらった方がいいですよね」 「気づかなかった・・・」 「ぼくは滝川さんとくっついてましたからね」 語尾にハートマークが飛びそうな笑顔で茶化したけれど、そう言うことかと納得する。あたしも馬鹿だ。豪華な部屋に興奮してお邪魔してしまうところだった。ぼーさんは怪我人なのに。 「病院でも解熱剤をもらっていたようですからね」 「あ」 エレベータが一階に着いた。安原さんが降りる。 「谷山さん?」 「あたし、間違ってぼーさんの薬持ったままでした、ないと困りますよね、届けてきます!安原さん、先に帰っててください」 あたしは12階のボタンを押した。今行ったばかりの階。 安原さんが何か言いたそうに口を開いたけれど、声を聞く前にドアは閉まってしまった。 |