花嫁の涙 (終章) 「あ、安原さん、あったよー!まどかさんからの封筒!きっとこれだっ」 二月も半ばの昼下がり。 渋谷の事務所では、調査員の少女が大量の郵便物に囲まれながら、喜びのポーズをとっていた。 「英語で書いてあって見落としてたんだー、よかったよかった」 安原は少女の手から封筒を受け取り、持っていたレターナイフですすと封を切った。 「はい、セント・エヴァント教会のレポートで間違いないですね。――さすが所長代理のレポート。見習うところがたくさんありそうだなぁ」 ぱらぱらと紙束をめくる安原の手元から、はらりと紙の一枚がこぼれおちた。それは、写真をコピーしたものだった。麻衣はすかさずそれを拾う。 「・・・あの子と、おじいさんだ」 スナップ写真と言うよりは、写真館で撮るような立派な写真だった。おじいさんの肩に手を乗せて、少女がほほ笑んでいる写真。光の中へと消えていく瞬間に見た笑顔と同じものが、そこに写っていた。 その後、現象は無事収束していた。すべてをオーナーに報告したところ、オーナーはステンドグラスを返還するか迷った末、そのままチャペルに残すことを決めた。 返還したところで教会はもうなく、引き受け手がなかったというのが大きい。今後もステンドグラスは人々の結婚の誓いを見守ることと相成ったのである。 「あったか」 所長室から顔を出したのは、もちろん所長室の主その人だった。 「ありました。すみません」 安原からレポートを受け取り、ナルはそのまま応接セットへと腰をかけた。 「麻衣、お茶」 「はぁい」 「そういえば、資料の整理ついでに依頼書を見直して気付いたんだけど、オーナーの言う現象でひとつだけ浮いたのがあったよね」 「もしかして花が枯れるってやつ?」 「そうそれ、さすが安原さん。あれ、結局再現しなかったよねぇ。だいじょうぶかな? 違う原因が残ってたり、・・・しないよね?」 麻衣がおどおどとナルを見やるので、ナルは心底呆れたようにため息をついた。 「まさかぼくが、そんなところを見落としているとでも?」 ナルは手に持っていたレポートのあるページを開き、麻衣の目の前に置いた。 「あの中庭で花が枯れたのは、今年の1月17日の一度きり。そして一年前の1月17日に、英国の教会で火事が起きていた」 「!」 「よく聞くと、中庭でもチャペルに近い部分の花しか枯れなかったって話だ。再現しなかったのは事象が起きた理由がそれだからだろう。・・・なんでしたら、もうひとつ疑問を解消しましょうか」 「もうひとつ? あたし、もう疑問はないけど?」 麻衣の問いに、ナルは笑顔を返した。麻衣は背筋に冷たいものが走ったのを感じた。 「そもそも、チャペルでの現象はオーナーの前でしか再現性がなかったんだ。でなければ、あそこに常時勤めている職員が誰一人として現象を認識していないことに説明が付けられない」 「え? うーん、そう? そう、かな?」 麻衣は頭をひねる。 「オーナーは、夜によくステンドグラスを眺めていたから気付いたのかもしれないと言ったが、それでは説明として弱い。結婚式は夕方から夜にかけても開かれるし、職員が夜のチャペルに足を踏み入れたことがなかったなんて考えられるか?したがって、オーナーの前でのみ現象は起こったと考えるのが妥当だ。なのに、ぼくたちの前ではすぐに現象が起こった。なぜか?」 ナルはそこで一呼吸置いた。 「原因は、麻衣が調査が始まってすぐ、真っ先に少女と同調したからだろう」 麻衣は、ナルの言いたいことがいまいち掴めずに首をかしげる。 「今回麻衣は異様に早いタイミングで少女の夢を見ている。そこで思ったんだ。麻衣には依頼者に危険なことをさせた罪悪感から、早く役に立ちたい、解決したいという気持があった。そしてアンテナを張りすぎて、関係のないことまで受信したのではないか、と。少女と境遇が似ていたために同調しやすかったのももちろんあるだろうがな。 チャペルの件について、ぼくはすべての現象はあの老人が起こしたものだと思っている。少女の方は、麻衣が余計なことをしなければ明るみに出なかったのではないかと思う」 麻衣は目をしばたたいた。 「まあ、ほとんどなにもデータが取れていないので、あくまでぼくの推測にすぎないのですが」 そこまで言い終えると、ナルはレポートをもって立ち上がった。そして、麻衣には目もくれずに所長室へ戻ってしまった。 麻衣は少しの間絶句していた。 「あたし・・・いま、ナルに怒られたのかな?余計なことをしたって?」 安原はうーん、と首をかしげる。 「どうですかね。老人だけではなく少女の霊が浄霊できたのは、谷山さんが少女の存在を明るみに出したからだ・・・という風にもとらえられますけど。まあ、少女の霊は老人の霊が浄霊されたらついて行ったと考えると、どちらでも同じような気もしますけど。あとは、早くに現象を再現させたおかげで、早めに解決することができた、という風にも聞こえなくも、ないかと」 フォローをしているのかしていないのか、安原らしからぬ歯切れの悪さに麻衣はうーんと顔をしかめる。 と、タイミングよくドアの開く音がして、今度はリンが顔を出した。 「あ、リンさん。お茶は?」 麻衣の申し出は短い返事で却下された。 「リンさん、今回の調査のデータって、どうでしたか?」 リンは一度安原を見て、次に所長室を見て、軽く息をついた。 「ほとんど何もとれていません」 「そうですか・・・」 「一時間ほどでかけます」 「了解しました、お気をつけて・・・」 事務所を出ていく背中を見送り、麻衣は所長が不機嫌な理由に見当がついた気がした。 「なるほど、今回はデータが不作だから、ナルはご立腹なわけだ・・・」 そもそも乗り気ではなかった依頼を、麻衣が無理やり受けさせたという経緯もある。 「でも、あたしは悪いことをしていない!」 「触らぬ神に祟りなし。ぼくたちはぼくたちの仕事を続けましょう」 「そうですね。気にしても仕方ない、うん、その通りだ!」 麻衣は残りの紅茶をくいっと飲み干し、勢いよく立ちあがった。 所長のごきげんなどうかがっている暇はない。仕事はまだまだ残っているのだ。 |