20111217

クリスマスの過ごし方 前編


 12月にもなると、あそこでもここでもクリスマスが近いぞと全力でアピールしだす。
 家にいたってテレビの特集が目に入るし、ちょっと雑誌をめくってもそうだ。外に出ればイルミネーションが雰囲気を作り、店に入ればプレゼントやら飾り付けやらが気分を盛り上げる。
 学校も、なんだかみんながそわそわしている気がする。
 予定があるやらないやら、彼氏がいるやら作るやら。
 麻衣はどうするの?なんて聞かれて、あたしはあっさりとこう答える。
「バイトだよ」
 クリスマスイブは冬休み初日の月曜日、クリスマス当日は火曜日。どちらもバイトが入ってる。自分の収入で生計を立てているあたしなんかは、こういった長期の休みこそ稼ぎ時なんだい。
 とくに今年の稼ぎは重要だ。来年は高校三年生、進学したいあたしとしては、受験生の予定なのだ。今年どれだけ稼げるかというのは、大きく進路に影響する。
 そんなこんなで遊びよりもバイト、なあたしに対して、だいたいはえー、つまんなーい、とかタンパクーとか言われて、次には彼氏はいないよね。好きな人は?なんて質問が来る。
「好きな人?うーん、いないなぁ」
 ここでもやっぱりえー、つまんないー、なんて言われて、つまんなくて悪かったなーなんて返してみる。
 けどほんとは、いないなぁっていう答えがあたしの本音なのかどうか、自分でもよく分からない。
 ジーンのことが好きだった。
 好きだった、と過去の形にしていいのか、そこもわからない。
 でもいいんだ。今でも好きか、それは過去の気持ちなのか、そんなのどうだっていいことだ。考えたって仕方がない。無理やり忘れる必要はないんだ。そう思っているから。
 確かなことは、クリスマスだからって彼氏を作ってデートして、なんて考えが、あたしの中には微塵もないってことだけだ。


「え、安原さん、クリスマスお休みなんですか?」
 あたしは今、あたたかーい事務所で、しっかりと手を動かしながら、口も動かしていた。
 寒いこの季節、生活費のためのバイトは、同時に光熱費節約にもなるんだから素晴らしい。なんて、夏にもおんなじことを思ったっけ。
「ええ、ちょっと予定がありまして」
 安原さんからはにこにこと、いつも通りの笑顔が返ってくる。
 なんだかあたしの野生の感がうずいたけれど、残念なことにあたしなんかじゃ安原さんの本音は見抜けないので、深く追求するのはやめておく。
「今は仕事量もそれほど多くないですから、すんなり許可がおりましたよ」
 もともと学生アルバイトなので、全部出勤、というわけでもない、そうだろう。
 大きな調査は11月に行って以来なかった。今のところ今後の予定もない。今の仕事は11月の調査のまとめが少し残っている程度で、あとは本国から届いた資料を整理したり本のラベリングをしたりと、まぁ特別なことのないいつもどおりのものばかりだった。
 相変わらず非営利目的なこの事務所は、繁忙にはほど遠い。決して閑古鳥が鳴いているわけではなく、依頼にいたっては後がたたないのだけども、受けるかどうかはすべて所長様のさじ加減なのだからしかたがない。
「所長なんかはそれこそ本場の方ですから、帰省したりするかと思ったんですけどね」
 安原さんからの受け売りだけど、イギリスではクリスマスホリデーなどと言ってとても特別なのだそうだ。日本の「恋人たちにとっての特別なクリスマス」とは違うらしい。日本にとってのお正月と近くて、家族と過ごすのだとか。
 こんな話を聞くと、ナルやリンさんが外国人だということを実感する。ジョンとは違って見目は日本人と変わりないから、たまに外国人だと気付かされる瞬間に出会うととても不思議な気持ちになる。
「去年も帰ってないですしねぇ」
 イギリス人の彼の養父母は、恐らくそんな特別な日を息子と一緒に過ごしたいと、彼の帰りを心待ちにしているのだろう。しかしそこはワーカホリックな所長様なので、家族より仕事を優先させるらしい。
 一度しか会ったことはないが、二人があきらめてため息をつく様子が簡単に思い浮かんだ。
「そうなんですか、それはご両親が寂しがっているでしょうね」
「あ、そっか、安原さんって、そのころまだ知り合いじゃなかったんですよね。なんだか、もうずっと長いお付き合いみたいな気がしてました」
「ふふふ、僕、人さまの懐に入り込むのが得意なんです」
 安原さんと出会ったのは、今年の1月にあった緑陵高校の調査の時だ。まだ出会って一年も経っていないなんて、意外な気がする。
 安原さんだけではない。ナルやリンさん、ぼーさん、綾子、真砂子にジョン。みんなみんな、もうずっと長く知っている人たちのような気がする。
 実際には、二年も一緒にいないのに。
「けど、里帰りしてご両親にせっせと親孝行しているナルも想像できないですよね」
「そうですね、もし帰ったとしても、自室に籠って仕事していそう・・・」
「うんうん、結局は仕事第一!」
 そんなくだらないやり取りでくくくと肩を震わせていると、
 ガチャ。
 噂をすれば影。
 所長室の扉が開き、話題の御方がお見えになった。
「あ、お茶?」
 あたしが立ち上がろうとすると、ナルに軽く右手をあげて止められた。
 一瞬、話を聞かれていてお小言を頂戴するのかと思ったけれど、ナルの口から出たのは、まったく違う内容だった。
「安原さん、麻衣、年末年始の休みの希望はありますか」
 ナルの手には手帳があった。
 あれ、と思う。年末年始の予定なら、すでに決まっていたはずだ。
「31日から3日まで休みなのでは?」
 あたしの疑問は、すぐに安原さんに代弁された。
「少し予定が変わったので。このまま特に何もなければ、事務所自体を一週間ほど閉めてもいいと思っています。もし希望があれば、それ以上休んでいただいても構いません」
「思ったより長いお休みになりそうですね」
 そこまで口にして、もしかして、と安原さんが笑みを作った。
「イギリスに帰省されるんですか?」
「僕はしません」
 僕、は?
「え、もしかしてリンさんは帰るの?」
「急用ができたから、明日22日から1月いっぱいまで帰ることになった」
 メカニック不在につき依頼は受けない方向で行くため、1月は少し余裕のある月になりそうだと、そういうことだった。だから、希望があれば休みを長くしてもかまわない、と。
 安原さんは少し考える様子を見せて、口を開いた。
「だったらお言葉に甘えて、少し長めにとらせていただいてもいいですか」
「わかりました。麻衣は?」
「あたしは・・・、特に予定がないから、事務所が開いているなら働きたいなぁ」
 出勤日数がそのままお給料になるのだから、かんたんに休む、なんて言えるはずがない。
「わかった」
 ナルは手帳をパタンと閉じ、お茶、と一言残して所長室へと消えていった。
 あたしがお茶を淹れるために立ち上がると、ふと安原さんの笑顔が目に入った。いつもの、あの笑顔が。


 あたしがお茶を淹れて給湯室から戻ると、安原さんがいなかった。
 所長室かな?それとも資料室?
 とりあえず、安原さんの分とリンさんの分、自分の分のお茶はあたしのデスクにまとめて置いて、所長室のドアを軽めにノックした。
 すぐにドアが開いた。
「どうぞ」
 安原さんが中から開けてくれたのだった。
「ありがとうございます。あ、お茶、デスクの上に置いてあるので飲んでくださいね」
 それだけ伝え、入れ違いに入室した。所長様のデスクにどうぞとお茶を置き、そのまま退室しようとしたら、背中から声がかかった。
「麻衣、1月は何日から出られる」
 振り返ると、ナルは論文に視線を落したままお茶に手を伸ばしているところだった。
「え、7日くらいまで事務所はお休みなんでしょ?」
「そのつもりだが、事務所は1日から開ける」
 どうやらここの所長様はお正月も返上でお仕事なさるということらしい。仕事好きもここまでくると呆れてしまう。―――いや、いつも呆れているかも。
「ほんっと、仕事馬鹿・・・」
「なにか?」
「あ、いえ」
 口に出したつもりはなかったのに、どうやら声になっていたらしい。危ない危ない。
「いつからでもいいの?」
 ナルが顔をあげた。
「1日は、綾子と真砂子と初詣に行ったりするから、・・・2日から来てもいい?」
 漆黒の双眸がまっすぐ向けられる。少し間があった。
「谷山さんも仕事馬鹿のようで」
 き、聞かれていたか・・・
 綺麗な顔で凄まれると迫力がある。ほんとうにある。
「少しでも多く働けた方が助かるので・・・」
「それでは2日から出勤してください」
「はい・・・」
 余計なことを口走ったなと思いつつ、静かに退室し後ろ手にドアを閉める。
 応接セットにはリンさんが座っていた。抜かりのない安原さんは、お茶が冷める前にリンさんに声をかけてくれたらしい。
 そんな安原さんはすでに帰り仕度をしており、そうか、もう帰る時間か、なんてことに気づく。
「リンさん、イギリスに帰るんだってね」
「はい。急ですが一か月ほど空けますので、その間よろしくおねがいします」
 リンさんの視線が一瞬、所長室に向いた気がした。これはナルを任されたということだろうか、なんて邪推してしまう。
 それだけ言うと、リンさんはそれでは、とお茶を持って資料室へ引き取ってしまった。
「僕も1月は10日までお休みをもらったので、負担をかけるかもしれませんがよろしくおねがいします」
「安原さんも長いお休みになるんですねぇ」
 これはずいぶん寂しくなりそうだ。
「実は、大学の先輩から塾の講師のアルバイトを打診されていて。断っていたんですけど、こちらがこんな感じなら、受けようかなと思って」
「うわぁ、安原さんが先生なら、成績も上がりそうですね!」
 安原さんは上げてみせますよ、とにっこり笑う。さすがだ。
「生徒さんが冬休みの間、昼間の講師が足りないってだけなので、ほんとうに短期ですけどね」
「安原さん、あたしも来年受験生の予定なので、・・・その時はぜひよろしくお願いします」
「お安いご用です」
 ひっじょーに頼もしい。
 これだけで、受験が少し怖くなくなった気になる。
「となるので、事務所はしばらく所長と谷山さんだけですね」
「ですね、話し相手がいなくて寂しくなりそうです」
「クリスマスも所長と二人。ぜひ、楽しんでくださいね」
「・・・」
 それではお疲れ様でした、と軽く頭を下げ、同じように所長室、資料室と声をかけて、安原さんは事務所を後にした。
「・・・・・」
 安原さんに言われて初めて意識する、なんてこともないけれど。
 これが前なら、「ナルと二人っきり!」なんてドキドキしたのかもしれない。
 けど。
 けど、いまのあたしは・・・




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