20120226

花嫁の涙 序章


「うわー、……うっわー!!!」
 車が目的地駐車場へ着き、降りるや否や、彼女はその建物を見上げてぽかんと口を開け、大きく目を見開いた。
 時は2月。まだまだ肌寒い季節であるが、少女はそんなことも忘れたかのように立ち尽くしていた。むしろ寒さで澄んだ空気と、雲ひとつない高い空が彼女の感動をさらに盛り上げてすらいた。
 運転手を買って出ていた破壊僧は、うーさむさむ、と腕をさすりながら運転席から降りる。彼女の見ているものを横目でちらりと確認し、しかし彼女のような反応は一切見せず、少し先に着いていたもう一台の車へと歩を進めた。
「ちょっと麻衣、ぼーっとしてないで早くどけなさいよ」
 この車の後部座席の昇降口は一つ。少女が降りたその場所から動かなかったため、後ろがつかえていた。
「見てよ綾子、すてきー!!」
 少女、麻衣は少し前へ出て、早く早くと綾子を手招いた。
 早くも何も、麻衣がいたせいで降りれなかったんだけどねと綾子はため息をつく。しかし、麻衣のこの反応が理解できないでもない。
「ま、見た目はなかなか立派ね」
 やはり綾子も横目でちらりと見ただけで、こつんとヒールを地面に下ろし、くぅっと伸びて車内の窮屈さに縮こまった身体をほぐした。
「なにそれ」
 思いのほか冷めた感想に、麻衣は鼻にしわを寄せた。
「いいからさっさと行くわよ。あんたの上司、あっちで怖ーい顔してるんだから」




 遡ること一週間前。
 午後の、昼食が済んでどことなくのんびりとした時間、静かにブルーグレイのドアが開いた。
 そこに立っていたのは初老の男性だった。中の様子を探るような視線が180度動くのを待って、麻衣はいつもと同じ手順で客を出迎えた。
 スーツにネクタイを締めたしっかりとした身なりに、姿勢も良い男性だったが、その顔からは濃い疲れの雰囲気が漂っていた。勘違いで来る客を除き、こういう空気をもつ人物が依頼に来ることは多かった。
 一通りの聞き取りを終え、麻衣はすぐさま上司へと報告を行った。
「興味をそそられない」
 しかし上司の反応はシンプルかつ冷酷。つまり断れということである。
「依頼主、顔色は悪いしすごく深刻な感じだった」
「だから?」
「だから、…だからもう少し考えてみてよ」
 麻衣としてもあっさり引き下がれず、もう一押ししてみるが、上司の表情も態度も変わらない。
「職員に足音や怪音を聞いた者がいる、中庭の花がいっせいに枯れる、それだけの事象で、僕が興味をもつと?」
 確かに麻衣も、男性の雰囲気に反して、内容があまり深刻に感じられずにいた。繰り返し職員が不安がっている、うわさが広まるのと困る、とは言うものの、具体的な問題があまり見えてこないのである。けれど、麻衣はどうもあの男性の衰弱ぶりが気になって仕方がなかった。相当気に病んだ様子だったのだ。
「結婚式場だからほら、少しのうわさも命取りなんだよ。依頼主、ほんとうにやつれてたんだよ」
 男性はとある結婚式場のオーナーだった。
 自分の運営している結婚式場が、どうもおかしい。そういう依頼だった。
「予約も入っている結婚式場を一週間閉めてまで、調査を依頼したいって言ってるんだよ。変だと思わない? それだけ深刻なんだと思わない?」
「僕は心理カウンセラーではない。足音や怪音は家鳴りでは? 花が枯れるのは病気では? 安心させるために興味もない依頼を受けるつもりはない」
「でも、なんだかすごく気になるんだもん」
 麻衣の言葉に、上司は鋭い視線を寄越した。
「それはどういう意味で?」
 麻衣は第六感の女だ。そう言う意味なのか、と。
「…わからないけど」
「でしたらお引き取り願ってください」
 すでに上司の視線はボードになかった。この話はもうおしまいという意味である。
「もうっ、ナルの頑固者っ!」
 ナルが依頼の選り好みを行うのは、決して珍しいことではない。
 こうなったナルの意見を変える手段はなく、麻衣も引き下がるしかなかった。
 所長室から戻ると麻衣は男性に頭を下げて依頼は受けられない旨を伝えたが、男性は簡単には諦められない様子だった。少しの押し問答の末、男性は来た時よりもさらに悲壮な雰囲気を背負って帰って行った。

 しかしその翌々日、男性は再び渋谷サイキックリサーチを訪れた。
 そして男性が初めて事務所を訪ねた一週間後、メンバーは件の結婚式場へと赴くことになったのである。




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