20120318

花嫁の涙 (2)


 何人もが座ってきた深い色のベンチに腰掛け、少女は思いつめた表情で足元を見つめていた。
 つい数時間前には何人も、何十人もの人々が座っていたベンチも、今は少女だけのものだった。
 チャペルの中には幸せな笑顔がたくさんこぼれていた。少女もその中のひとりだった。かげりのない笑顔が自然とあふれていた。みんなと一緒に、白い光の中にいた。そう、その時までは。
 日が傾き、影が闇に溶け、細い月の光が射してもなお、少女はひとりでそこに座っていた。
 大好きなステンドグラスを見上げることもなく、ただただ、俯いて座っていた。
 静かだった。
 時折少女の深い息が漏れ聞こえた。
 もう何度、少女がため息をついたか分からなくなった頃、少女は膝の上にのせてあった掌を強く握った。
 白くなるほど、掌に爪のあとがくっきりと残るほど、強く、強く握った。
「だめ・・・」
 少女は顔を上げた。
「あ き ら め て は 、 だ め ・・・」
 ステンドグラスが、白い月の光を受けて輝いていた。



「・・・・・」
 ぱかっと目が開いた。
 目の前にあるのは、チャペルの床ではなかった。彼女の目に入ったのは、何台ものモニターに、蛇行する数々のコード。
 夢から覚めた彼女は、はっきりとした頭で状況を確認した。
 夢と言っても彼女の場合は普通の夢とは違う。しかも、何度も体験したことのある夢だ。環境が変わりすぎたところで、目が覚めた瞬間に寝ぼけたりはしない。
 麻衣は自分の胸に手を置いて考えた。夢の中の少女の感情が、まだ鮮明に残っている。自分も同じ気持ちを味わったことがあった。この気持は。
「おっと、報告しなきゃ」
 麻衣の夢、とくに調査中の夢には意味があり、それだとわかった場合には逐一報告することになっている。麻衣はふいと顔を上げ、すぐ視界に入った人物の名を呼んだ。
「リンさん。今、夢を見たんですが」
 パソコンに何かを打ち込んでいたリンが、ゆるりと振り返る。
「・・・今、ですか?」
「はい、今です」
「ほんの5分ほど前まで、ナルと話していましたよね」
「あ、そうですか?」
 麻衣はそう言って腕時計を覗きこむ。確かにそのようだ。全然時間が進んでいない。
「モニターをずらそうとしゃがみ込んで、そこで夢を見ちゃったみたいです、あはは」
 リンは少しだけあごを引き、すぐにインカムに手を添えた。
「ナル、谷山さんが夢を見たそうですが」

「―――と、いう夢」
 ナルはカチリとテープレコーダーを止めた。
「『あきらめてはだめ』か。何を諦めるんだ?」
「うーん、それはちょっとわからないです・・・」
 短い夢で、あまり深いところまで麻衣にはわからなかった。
「今の話からすると、麻衣はその人物になりきって追体験したというので間違いないか」
「え、うん」
「と言うことは、麻衣は客観的にはその人物を見ていないということだな。ではどうして少女だと思った。少女と言うからには、10代くらいまでの女性という意味だろう」
「え、え?」
 言われてみて、麻衣は記憶をたどるように目を細める。
「ええと、手・・・かな。うん、手。少なくても水仕事をしているような手じゃなかったし、小さめ、だった、かな。あ、でも、子どもって感じでもなくて。んー、なんでだろう」
 ナルのペンが進む。
 夢を、映像を言葉で伝えるのは難しい。何度も行っているとは言え、なかなか完璧には伝えられないものだ。ナルが補足的に行う質問が、麻衣の夢を第三者にも分かるよう色づけていく。
「この女の子が今回の騒動に何か関係してるのかな?」
「さあな。今の段階では何もわからない」
 へーへーそうですよねと心のこもらない言葉を返し、その他にもいくつかの質問に答えていく。
「あっ、それとその女の子、きっと近しい人を亡くしたんじゃないかな」
「根拠は?」
「根拠はないけど、なんとなく」
「記録はしておく」
 すらすらとメモをしたナルに対して、麻衣は鼻にしわを寄せる。
 ある程度質問したところで、ナルの手が止まった。
「今回はずいぶんと夢を見たタイミイングが早かったな」
「そうなんだよね。しかも、ぱっとしゃがんでぱっと見た感じ」
「ふうん」
「なにか意味があるかな」
「さあ」
「・・・・・」
 まるでから返事のように、メモに視線を落したまま受け答えをするナルだが、短いながらもナルとそれなりの付き合いをこなしてきた麻衣は、もちろんそんなことでへこたれはしない。
 へこたれはしないものの、不満があることには変わらない。しかしふだんなら文句のひとつやふたつくらい添えたところだが、今日の麻衣は違った。
「今回の調査は、ううん、今回の調査も、気合いを入れてるから」
 漆黒の瞳が、ちらりと麻衣を捉えた。
「失態を取り戻すべく、第六感のオンナ、情報収集頑張ります!」
「ずいぶん入れ込んでるねぇ、なにかあった?」
 いつの間にか帰ってきた滝川が、入口に立って麻衣とナルを見比べていた。すぐに綾子が滝川の脇を通って室内に入る。
「どうでしたか?」
「しゅーかくなし。ま、俺らで収穫アリなら、即モニターで気付かれてるでしょーけど」
 滝川は探るような目でナルを見ている。
 今回の調査に真砂子は同行していない。となると、様子見としてまっさきに白羽の矢が立てられるのは、麻衣が妥当だ。そこを霊を見ることのできない滝川と綾子に命じたナルに、少しひっかかっているようだ。
 ナルはそんな滝川にさらりと無視を決め込む。
「お待たせしましたー、みなさんお揃いでしたね」
 そこへ安原が計測結果を持って戻った。
「今回、広さの割に部屋数が少なくていいですね」
 調査結果を渡されたリンが、すぐにデータを打ち込む。
「チャペルの室温が少し低いですね」
 すぐにナルがリンのそばまで行き、打ち込み中のデータを覗き込む。
「けどあそこ、出入りする時はいったん外に出なきゃいけないから外気が遠慮なく入るし、作りだって違うから、他の部屋よりもそもそも室温が低そうな感じだったわよ」
「そうですね、滝川さんたちと僕がばたばた入れ違いに入ったので、少し寒くなっていた可能性はあるかと」
 滝川もうんうんと頷く。
「他の部屋との違いは5度か。三人の意見を聞く限り微妙なところだな。とりあえずカメラを増やして様子を見よう、麻衣と安原さんでお願いします」
「了解っ」




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