20120505

花嫁の涙 (3)


 追加のマイクとコード類を抱えながら、麻衣はそのドアを引き開けた。
 壁と同色に塗られたそのドアは普段は職員だけが使うもので、チャペル側面へと繋がっている。チャペルにある入口はここと、もう一つ正面の大きな扉の二つだった。
 麻衣はその場で足を止めて、ぐるりとチャペルを見まわした。アーチ型の天井はとても高く、言葉通りぐるりと顔を動かさないと全体を見渡せない作りになっている。
 チャペルは、結婚式場の顔だ。
 日本で行われる教会式は形式上のものが多いが、それでも教会式において「結婚の誓い」をする場がチャペルであり、結婚式の目玉だ。
 この結婚式場のこのチャペルは宗教上における正式な教会ではないのだが、それでも足を踏み入れた瞬間に、思わず息をのむ雰囲気が漂っている。
 ―――少なくとも、麻衣にとっては。
 麻衣の目の前には木でできたベンチがずらりと並んでいる。チャペルの正面には説教壇、その横にはオルガンがあり、そこから伸びたパイプは天井に届くほど長い。そのパイプから中心へ視線を移すと、縦に細長いステンドグラスが三枚はめられている。
「チャペルも素敵・・・」
「ここ、できてまだ一年も経っていないはずなんですけど、ベンチの感じとか、新しいものではなさそうですよね。もしかすると、どこかから移設したのかな」
 立ち止まった麻衣の横を通り、カメラを抱えた安原がベンチに手をかける。
 そんな安原にちらりと視線を向け、麻衣はあれ、と首を傾げた。
「どうしました?」
「床が・・・」
「床?」
 つられて安原も床へと視線を落とす。
「夢で見たものと、違う気がする。ここの床はレンガみたいな、長方形の白色の四角が規則正しくずらっと並んでるんですけど、夢の中だとこう、色が違う小さい四角のタイルがばらばらっと・・・」
「じゃあ、床以外はどうですか?」
 言われて麻衣はもう一度チャペルを見まわした。
 ぐるりと見まわして、うーんと渋い顔をする。
「わからないです。そういえば、夢の中で彼女、ずっとうつむいていたから・・・」
 だから床の印象が強くて、違うと気付いた。そして、床以外は見た記憶がないから、チャペルのほかの部分が夢の中と同じなのか違うのか、判然としない。
「なるほど、夢でチャペルを見たからと言って、そのチャペルがここのチャペルだとは限らないわけだ」
「それって、どういう意味でしょうか・・・」
 不安そうに安原を振り返った麻衣へ、安原がいつもの笑顔を送る。
「僕にはなんとも。ですが、これは所長に伝えないといけないでしょうね」
「ですよね」
「じゃあ、早々にマイクとカメラを設置して、ベースに戻りましょうか」



「なぜ、背景を探ろうとなさるのですか」
 ベースのドアに手をかけようとして、安原の動きが止まる。
 剣呑な雰囲気が、ドアの外まで伝わってきたからだ。
「これ、依頼主のオーナーの声ですよね」
 ちらりと麻衣を横目で確認し、安原はそろりとドアを開けた。
 そこにいたのは、SPRのメンバーと予想通り、オーナーだった。
 ナルとオーナーは簡易的に作られていた応接セットに向かい合って腰かけている。リンはコンピュータの前に座り、滝川と綾子はその近くのソファに腰掛け、それぞれナルとオーナーのやりとりとは関係ないふりをしつつ、耳はどうやら二人の方へと向いているようだった。
「わたしどもはただ、悪霊を祓っていただければそれでいいんです」
 ふたりの入室に気づき、オーナーは軽く会釈をした。ナルは目視したものの、かまわず話を続ける。
「悪霊とはなんですか」
「ビデオをお見せしたでしょう。あの怪現象を起こす原因のことです」
「ビデオは拝見しました。どうにも不思議な現象が起こっているようでしたので、僕は調査に来ました。ですが、あれがあなたの言うところの『悪霊』かどうか、ぼくにはまだ判断材料がそろっていません。なので、お話をうかがっているのですが」
「悪霊じゃなかったらなんだっていうんですか」
「ですから、それが分からないので調査をしたいのですが」
「・・・っ」
 怒鳴るまではいかないが、オーナーには明らかにいらだちが見られた。
「仮にあの現象があなたの言うところの『悪霊』が起こしていたとして、現象の本質が何なのか分からない以上、単純に排除を試みたところで、解決になるとは思えない。原因を突き止めて、そこからたたかなければ意味がないでしょう」
 対するナルは淡々と言葉を返していく。
「あなたはこの現象がとまることを望んでいるんですよね」
 ナルの、深く黒い瞳が、まっすぐにオーナーを捉える。
 冷たい沈黙が落ちた。
「あの、ちょっと、待ってください」
 見かねて話に割って入ったのは、麻衣だった。滝川も軽く腰を浮かしていたが、静かに座りなおした。
(ナル、言い方ってもんが、あるでしょっ!)
 口をぱくぱくと動かし、ナルをにらみつける。当の本人は涼しい顔をして、麻衣の顔すら見ていない。
「すみません、はじめから話を聞いていたわけではないので詳しいことがわかりかねるのですが、こちらの質問にどこか不愉快な点がありましたか?」
「いや・・・」
 麻衣の介入に、オーナーは溜飲が下がったのか、穏やかな表情を取り戻した。
「そうではないのですが、我々としては、この式場についた悪霊を祓っていただきたいだけなんです。全体にお祓いなどしていただいて、どうにかなるものではないのですか?」
「おっしゃることは分かります。ただ、うちはそういうやり方はしないもので・・・。いろいろお話をうかがって、原因が何かを突き止めて、そこをたたく、っていうのが、うちのやり方なんです」
 困り顔のオーナーに、麻衣は苦笑を返す。言っていることは分かるのだ。テレビなどのイメージで、現場を見て、あそこに霊がいる!とばかりにうんたらお祓いをしておしまい、というのを想像していたのだろう。
「とりあえずは、わかりました。では、怪現象を目撃した職員に連絡を取って、ここに連れてきます」
 あまり納得した顔をしてはいなかったが、それでもオーナーは再び軽く会釈をしてベースを去って行った。
 ドアが閉まるのを見届け、一番最初に口を開いたのはもちろん麻衣だった。
「ナ、ル! なんで、いちいち、人の機嫌を損ねるような言い方をするのさっ」
 麻衣はナルを仁王立ちで見下した。立っている麻衣と座っているナルの位置関係上、仕方がないといえば仕方がない。
「待て待て麻衣、今回については、ナルばかりが悪いってもんじゃないと思うぜ」
「え?」
「ナルちゃんは、いたって普通の態度でもって聞き取りを始めたと思うんだよな。聞いた内容も聞いたタイミングも、別に怒るところじゃないんじゃねーか、なんて俺は思ったけど」
「うん、あたしも」
 綾子まで助け船を出す。
「逆に、オーナーの態度の変わりようが不自然だったわよ」
「ええっ。てっきりあたし、またナルが慇懃無礼な態度でオーナーを怒らせたのかと・・・」
 そろりとナルを振り返ると、冷たいまなざしが向けられていた。
「す、すみません・・・」
 麻衣はおそれたが、しかし特にナルからこれに対する嫌味が出てくることはなかった。
「聞きたいことはほとんど聞けなかったが、収穫はあった」
「・・・と、言いますと」
「馬鹿」
 この『馬鹿』が、間違いなく麻衣に向けられていたことには気づいたが、麻衣は言い返さず、少し頭を垂れるにとどめた。
「オーナーは、何か隠している」
「俺も同意。あのオーナー、なにかやましい話をもってるんだろうねぇ」
 どこかにやにやしながら、坊主が頷く。
「意図的に情報を隠されたんじゃ、進むものも進まないな。安原さん」
「はい、少年探偵団ヤスハラ、出動いたします」




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