花嫁の涙 (5) 「麻衣っ、ぼーずっ!」 チャペルの前でぐったりと座り込む二人に真っ先に駆けつけてきたのは、予想に反して姉御肌の彼女だった。 綾子は麻衣に抱きつき、怪我はないか火傷はないかと体を見回す。心配したのよと言った声は、心なしか鼻声だった。 麻衣はされるがままで、暖かい腕を受け入れている。隣の滝川は、俺には心配してくんないの、などと呟きつつも、口調は柔らかい。 「幻覚か」 「え?」 綾子に遅れて現場に着いた少年は、座り込む二人とその片方に抱きつく一人とを見下ろしながら呟いた。 開け放たれた扉から見えるチャペルの内部は、何事かがあったようには全く見えなかった。火が出ている様子はもちろんなく、煤けてすらいない。そしてそこから駆け出た二人に至っても、火傷はおろか、焦げた部分さえない。 「ほんものの火事じゃなくて何より。この乾燥した季節に延焼でもされちゃ大ピーンチ、だもんな」 「気づいていた?」 ナルが滝川に視線を向けると、疲れ切った顔のぼーずは深くうなずいた。 「もしかしたらとは思った。慌ててたし確信できてたわけじゃないけど、本物だったらもっと熱いんじゃないかと思った」 滝川の発言に、麻衣がきょとんとする。 「チャペルん中、熱かったか?」 「ええ? えっと、そうだった・・・かな?」 火事になった、火が上がった、そう思って気が動転した。麻衣はそれが本物かどうかなんて考えもしなかったのだ。 「あれ、幻だったの?」 麻衣と同じような顔をしたのは綾子だった。 「まだお気づきじゃなかったんですか。サーモグラフィーは青いままだったし、今、チャペルの中はなにもなかったかのようにきれいですが」 ナルの冷たい視線に、綾子がぐっと詰まった。そこまで確認せず、ベースを飛び出したのだ。ここに着いてみて火が治まっていたことについては、単純に現象が止んだせいだと思っていただけであるが。 「だから駆けつけるのが遅かったわけね・・・。慌ててなかったわけか」 モニター越しに炎を見て、綾子は慌てて駆けつけた。ほぼ同じタイミングでナルも立ち上がっていたが、到着に差がついたのはそこの理由があったからだ。綾子は慌てて走り、ナルは冷静に歩いて向かった。 「麻衣にはインカムを通して伝えようとしたが、外していただろう」 「はっ! 焦って動いて、外れてました・・・」 麻衣は自身の耳に手を当て、あははと笑う。滝川は除霊のためにインカムをつけていなかった。直前まで動作を確認していたのに、いざ本番で使えなければ全く意味がない。 「そっか、幻だったのかぁ・・・」 もう一度深く項を垂れ、麻衣はようやく寒いことに気がついた。まだ二月の屋外は、軽くパーカーをはおった程度の軽装で耐えられる寒さではない。 慌てて飛び出してきたという綾子も軽装で寒そうだった。そして、慌てたわけでもないナルも軽装で寒そうだった。 ――一応は、急いできてくれたのかな? 不思議なもので、さっきまでは寒さを感じなかったのに、一度気づいてしまうと寒くて寒くていられないと思ってしまう。 「寒いよね、中に入る?」 麻衣の言葉に、三人は異議なしとばかりに動き出す。 火を避けるため、その時の二人の位置関係の都合上麻衣と滝川はチャペルの正面から外へ出たが、このまま中庭を横切って披露宴会場の正面エントランスへ向かうよりも、チャペルの中を横切って披露宴会場の横の職員通路を使う方がベースへの距離は短い。 「ほんとだ、ぼーさんが除霊を始める前のまんま。どこも焦げてないし、燃えた様子もないね」 チャペルをぐるりと見まわし、麻衣は照れ笑いを浮かべる。 「さっきはすごくすっごく、もうだめだ、くらいに思ったのになぁ」 滝川が熱くなかったと言った言葉が、実は少し引っかかっていた。確かに熱かった気がしたのだけれども。気のせいだったと言われると、自信もない程度のものであったが。 そんな麻衣の様子を、ナルは黙ってみていた。 「でも、扉を開けるときはちょっと覚悟したぜ〜。酸素が一気に入り込んで、爆発するってあれ」 「バックドラフト?」 「そうそれ」 「・・・バックドラフトは、密閉された空間で火災のために空気不足が起こり、火災成長が抑制されたところに急激に空気が流れ込んで起きるものだから、今回の場合は本物の火災であっても発生したとは思えないが」 あっはっは、と滝川も力なく笑い、長い溜息をついた。 「リン、映像は?」 ナルがベースに着くなりまず口にしたのはその言葉だった。しかし、残念なことにリンは首を横に振った。 「機器は故障してないんだな」 「そこは問題ありません。今現在は普通に作動しています」 「ほかの部屋に異常は」 「とくになにもありません」 「ぼーさんの除霊は、失敗だったの?」 一連の流れを横眼で見ながら、麻衣が滝川に尋ねる。 「ま、残念ながらそーゆーことでしょーね。・・・除霊としては」 滝川の含みある発言に、麻衣が眉をひそめた。 「除霊としては、ってどういう意味?」 「霊を排除するって意味では失敗だったけど、だからって得るものがなかったわけではないってこと。ナルちゃんや、チャペルが燃えたとき、床はモザイクだったぜ」 「!」 視線が滝川に集まった。もちろんナルもだ。 「たぶん、床だけじゃなくて全体的に違うデザインのチャペルだと思う。改装とかいうレベルじゃなく、まったく別物だろうね。モニターからはわからなかった?」 「モニターでは黒煙が立ち込めて内装を確認するまではできなかった。そうか」 少し目を細めて考えるしぐさをしたナルに、滝川はにやりと笑った。 「麻衣が見た夢のチャペルと、ここのチャペルとは別物で、しかし何らかの関わりがある。さっき白い影が出てきたときはここのチャペルのままだったし、オーナーが撮ったビデオもここのチャペルのままだった。けれど、炎が上がったのは麻衣が見たチャペルの方だった・・・」 そこまで言うと、ナルはついと顔をあげた。表情の読めない、漆黒の双眸はまっすぐ正面をとらえている。 「あとは安原さんの報告を待って、明朝にはオーナーにお出ましいただこうか」 外はすっかり暗くなっていた。 「あー、腹減ったー・・・」 「ごはん、すっかり遅くなったもんね〜」 麻衣は買い物かごにパンやカップラーメンを入れながら口をとがらせた。 今回、一行は式場に泊まり込むことにしていた。しかし、ここは宿泊施設ではなく、いろいろな面で泊まり込みには向いていない。今は、そのための買い出しに近くのスーパーまで来ているところだった。 「ちょっと麻衣、そんなものばっかり食べて調査を乗り切るつもりっ?」 そう言う綾子の買い物かごには歯ブラシなどが入っている。 「でも、あそこで調理できないでしょ?」 「なに遠慮してるの、使うしかないでしょ。そんな食事ばっかりなんてイヤよ」 披露宴では食事がでるため、式場内には立派な調理施設はある。しかし、立派ゆえに借りにくいというのが麻衣の見解だ。綾子としても素人が気軽に借りられる場所ではないとは理解しつつも、そこまで遠慮していられないというのが本音だった。 「綾子の料理、美味しいから食べられるならうれしいけど」 「あーら、かわいいこと言ってくれるじゃないの」 「同意、綾子は料理だけはうまいからなーあ」 「ぼーず、言葉には気をつけなさいよ」 綾子は滝川をひと睨みし、しかしすぐに野菜の物色を始めた。 「で、結婚したら、毎日料理するような生活をするわけ? それともかせーふさんがいて料理なんかはしなくてもいい、豪華な生活をするのか?」 滝川の言葉に、綾子の動きが一瞬止まる。 「さっき、結婚、決まったって言ってたよな?」 「・・・まあね。もちろん、料理なんてしない生活を送るわよ」 「綾子、ほんとに結婚するの? 結婚したら調査に来られなくなるとか、ないよね・・・?」 「どうかしら、あまり自由にふらふら出歩くわけにはいかないかもね」 「・・・・・・」 思わず立ち止った麻衣に、滝川がぽんぽんと背中を叩いた。 「よかったな、ちゃんともらい手がいて」 「失礼ね、引く手数多なのよ。選り好んで選びぬくだけ候補がいるんだから」 「あ、そ。おめでとう。幸せになれよ」 「・・・どーも」 動けないでいる麻衣と、綾子との距離が開いた。滝川は少し後戻りし、今度は麻衣の頭に手を乗せた。 「ここは、おめでとうっていう場面だ」 「・・・うん」 「『知り合いの結婚式は、招待されたら幸せな気持ちになれそう』だったろ?」 「・・・うん」 ぽんぽんと頭を軽く叩いた滝川は、麻衣を振り返らずに歩きだした。 ――そのため、麻衣が倒れる瞬間に気づくことはできなかった。 どさっ 二人がそれに気づいた時、すでに麻衣は人事不省に陥っていた。 |