20120324

花嫁の涙 (6)


「分かった。可能性を考えて、原さんに連絡をとってみる。後のことは任せます」
 紙袋を両手に提げ、安原がエントランスの扉を開けたのは、夜の9時を回った時だった。
 最低限の照明しか点けていないのだろうオレンジ色のぼんやりとした光の下、公衆電話で何かを話しているナルと目が合った。語調から何かを感じ取った彼は、その場で歩みを止め、会話が終わるのを待つことにした。
 決して大きな声ではなかったが、静まり返ったホールにはナルの声が響いた。
 幸いなことに電話はすぐに終わった。もちろんナルの性格上、たとえどんな内容であろうとも、そんなに長く話してはいないだろうと踏んでいたわけだが。
「戻りました」
「安原さん、いま原さんの連絡先は分かりますか」
 ねぎらいの一言も状況の説明すらもなく発せられたその言葉に、彼は非難の言葉ももちろん茶々も出さず、さっと手帳を取り出した。
「今ならもうご自宅にいる時間でしょうね」
 真砂子の連絡先として数件記載してある中、安原は原真砂子自宅、の一件を指差した。
 夜の9時。実家住まいの真砂子へ電話をかけるには少し遅い時間ではあるが、そうも言っていられない事態が起きているようだった。ナルは手帳に目を落とし、すぐに番号をプッシュした。
 安原は、ナルの真砂子への電話を聞いていまの事態をおおよそ把握した。
 買い物中に麻衣が倒れ、滝川と綾子で病院へ連れて行ったということ。いまだに目を覚ましておらず、医者は原因が分からないと言っていること。もしかすると原因は今回の調査に起因しているかもしれず、真砂子に麻衣をみてほしいということ。
 間もなくナルは受話器を置いた。
 会話の様子からして、明日の朝一番に駆けつけてくれるようだった。
「・・・ということです」
 ナルは安原を見て、それだけ呟いた。説明は不要でしょう、そう言うことである。
「原さんは今回、日程の調整が付かないから不参加って話でしたよね」
「ああ、無理を押して来てくれるそうだ」
「・・・・・」
 つまりは、無理を押してもらう案件だということだ。
「それで、調査の結果はどうでしたか」
「おおよその予想通りだと思います」
「そうですか。原さんは明朝来てくれますが、その前に解決できるのならそれがベストですから」
 安原はうなずいた。
 彼は、紙袋の重みが一層増したように感じた。



 それから一時間もしないうちに、滝川がベースへと戻ってきた。
「おかえりなさい、お疲れ様でした」
 真っ先にねぎらったのは安原だった。滝川は軽く手を挙げ、少年もな、と返す。
「綾子は置いてきた。病院としては帰したかったみたいだが、ちょっとごねて、無理やり残してきた」
「そうだな、何か動きがあるかもしれないし」
 明らかに疲れた表情の滝川は、手にビニール袋を持っていた。
「わりぃが、食事はコンビニとスーパーで適当に調達した。遅くなったけど、なんか腹に入れねえとな」
 滝川がビニール袋の中身を適当に出して並べ、安原は飲み物の準備を始める。
「麻衣がいないと静かだなぁ」
 ぼそりと滝川が呟いたが、返す者はいなかった。
 リンは引き続きモニターに向かっているため、安原が野菜サンドと紅茶をそばに置いた。残る三人は、簡易応接セットに腰掛ける。
「ぼーさん、麻衣が倒れた時の様子を教えてくれ」
「3人でスーパーにいたんだ。俺と綾子が少し前を歩いていて、俺たちは倒れる音で振り返った。そこから麻衣は昏睡状態で、それ以来目を覚ましていない。麻衣には膝とかに数か所あざがあって、医者の話だと、立ったまま意識を失って、床に強打してできたんだろうということだった」
「倒れる直前の麻衣に変わった様子は?」
 滝川は少し目を細めて、考える表情をする。
「直前は・・・綾子の結婚の話をしていた。変わった様子、でもないが、綾子が結婚するって話には、少なからずショックを受けているようだったけど」
 安原が驚いたようにひとつ瞬いた。
「ショック? 松崎さんの結婚が?」
 しかしナルはそこには触れず、話を進める。
「寂しかったんじゃないかと思うんだが。その前に、結婚したら綾子はあんまり調査に来られなくなるんじゃないかっていう話が出てたから」
「なるほど。・・・『結婚』ね」
 そう言ったきり、ナルは黙って考え込んだ。こんな時のナルはそっとしておくのが一番、滝川と安原は、黙々と食事をした。ナルは全く食事に手をつけなかった。
 カップラーメンにサンドイッチにおにぎり。会話も弾まず、ただただ空腹を満たすだけの食事になった。
「ところで少年、調査の結果はいかに?」
 しばらく沈黙が続いたのち、口を開いたのは滝川だった。
「オーナーの怪しさを確信付ける結果になりましたよ」
 ある程度食事も終わり、安原はカップの紅茶を飲みほした。
「まず、オーナーはここ以外にも数か所結婚式場をもっていて、経営は安泰のようでした。中には情報雑誌にも載っていてそこそこ人気のあるところもあるようです」
 見ますか?と安原は結婚情報誌を取り出してみた。滝川は遠慮しとく、と手を振る。
「で、興味深いのはここからです。全職員は調査を入れるために一週間の休暇を出したって話でしたが、まずはあれがウソでした。職員の認識は、『厨房のガス回りの補修工事のため急きょ一週間休業する』でした」
「ん?拝み屋が来るってのは伏せてたってことか?」
「それが、職員の中からはそもそも怪現象が起きているっていう話が出てこなかったんです。確認のために全員と連絡をとりましたが、誰一人そういう話はしませんでしたし、念のためにカマもかけてみましたがひっかかりませんでした。ぼくの感覚では、ウソをついているとは思えません。花が枯れたっていうことは確かにあったそうですが、たった一度だけで、職員は花の病気だと思って疑っていないようでした」
「どういうことだ・・・? オーナー以外で、怪現象を認識している人物はいないってことか・・・?」
「おそらく。まぁ、利用者のほうはさすがに全員に聞いて回れたわけではないんですが、噂が立っているような話は出ませんでした」
 滝川はあごに手を当てて顔をしかめた。
「つまり、普通に気づくほどの目立った現象はなかったってことか・・・? なのに、オーナーは急きょ一週間も式場を閉鎖させてまで調査を依頼してきた? なんで?」
「そう、そこなんですよね。なんででしょ。相当の心配性なのか?」
「オーナーしか気付けなかった。いや、オーナーだから気付いた。怪現象が起こる原因に、心当たりがあるから」
 ナルの言葉に、滝川と安原が注目する。
「ここのオーナーは、この式場以外にも数か所の結婚式場をもっている。この場所でずっと過ごしているわけじゃない。にもかかわらず、職員が気付けない怪現象に気付いていた。起こる原因に心当たりがあったか、もしくはオーナーの前でしか現象が起きなかったかのどちらかが考えられる。だが、後者はぼくたちの前でも現象が起こったから違うだろう」
「そこが、オーナーの『やましい話』ってことか」
「だろうな」
「もちろん、やましそうなところも目星をつけてきましたよ」
 さっすがぁ、と滝川が茶々を入れると、安原は第一の目的ですから、とにっこりほほ笑んだ。
「ここの土地は、もともとしばらく前から売り地にだされていた更地で、遡ってもこれといって事件なんかは出てきませんでした。建設にあたって誰かが事故で亡くなったとか、そういう話もありません」
 そこで、安原は今度は式場のパンフレットと、何かをメモした一覧を取り出した。
「ちょっとここを見てください。紹介文句の一部に、『たくさんの伝統が』ってあるんです。ここって、まだできて一年経ってないんです。たくさんの伝統って何だろうって思いますよね」
「ほう」
「どうやら、絵画やら照明やらを、長い歴史のある場所から移設してきているみたいなんです。パンフレットにも一部載ってるんですけど、全部じゃないみたいで。ここを建てた建設会社やら設計士さんやらに掛け合って、分かるだけリストアップしてみました」
 メモ一覧には、確かにエントランスのメイン照明、●●の●●から、と言った風に並んでいる。
「すげえな。よくこんなもの、半日でまとめたな」
「まあ、ほとんど設計士さんがもっていたオーナーからの指示書から抜粋してるんですけどね。これを見ると、明らかにチャペルのものが多いんです。長椅子、パイプオルガン、ステンドグラス、照明」
「ほうほう、それで?」
 滝川が身を乗り出し、安原は焦らすように一度深呼吸をした。
「・・・残念ながら、ここまでです」
 身を乗り出していた滝川は、がくっと肩を落とした。
「さすがのぼくも、半日で調べられたのはここまでなんです、すみません」
「明日は、特にここの移設もとの教会を調べてください」
 すっとナルの指がリストを走った。
「教会のみですか。古いものに何かの所縁の可能性を考えるなら、すべてあたってみる覚悟ですが」
「麻衣の見た夢はこことは違うチャペルでした。そしてぼーさんも、現象が起きた時にこことは違うチャペルを見ている」
「そっか。そうだった。少年が出て行ったあとの話だもんな」
「分かりました、まずは教会をあたってみます」
「ぼーさんは、明日8時に原さんが麻衣の入院している病院に到着する予定だから、ぼくと一緒に病院へ行ってほしい」
「りょーかい。リンさんや、代わるぜ〜」
 それぞれが明日の行動を確認し、後は交代でモニターを見張りそれぞれが休むこととなった。
「・・・切り札としては十分だ」
 ナルの呟きを聞いたものはいない。




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