20120325

花嫁の涙 (7)


 翌日。
 昨日に引き続き、雲ひとつない快晴だった。
 その後、夜中に式場は何の動きもなく、結局そのまま朝を迎えていた。ナルと滝川は滝川の運転で病院へと向かったが、道中の30分ほどの間、車内は終始無言だった。
 彼らが病院へ到着して中へ入ると、着物姿の少女が姿勢よくたたずむのがすぐに目に入った。
 あらかじめ受付前で待ち合わせしていたため、ナルと滝川、真砂子は朝8時にすんなり合流することができた。朝8時なのは面会時間の開始がこの時間だったためだ。真砂子は麻衣の大事にと自分のことを置いて駆けつけたのだが、予定が詰まっているため時間は少しでも早い方がよかったのだ。
 朝8時の待合室はすでに人でいっぱいだった。3人は挨拶もそこそこにその中を素通りし、まっすぐ麻衣の眠る病室へと向かう。入院患者のいる階も、ざわざわと人の動きがみられた。
 コンコンとノックをすると、中から綾子の声が返ってきた。
 麻衣は個室に入った。万が一の事態が起きた場合に、同室の人がいると困るからである。
「おはよう。どうだ?」
「おはよう。変わりないわ。たぶんぴくりとも動いていない。何度も気になって息してるか確認しちゃったもの」
 徹夜したのであろう、綾子の眼の下にはっきりとくまができていたが、彼女はしっかりとした口調で答えた。
 綾子の目の前のベッドには、麻衣が横たわっていた。気をつけて見ると顔色が普段よりも多少白いように感じるが、ただただ眠っているだけと言われると、疑わない程度に安らかな顔をしていた。
 真砂子は入口で一度足を止め、まっすぐに麻衣を見つめる。
 麻衣の隣に腰かけていた綾子は立ち上がり、それまで自分が座っていた椅子を真砂子に勧めた。
「どうですか」
「・・・女性がいますわ。ずいぶん深くまで麻衣の中に入り込んでいるようです」
 真砂子はいたわしそうに眉を寄せた。
「やっぱり原因は心霊的なものだったわけね」
「なんとかなりそうですか」
「やってみます」
 真砂子は静かに麻衣に近づき、綾子はゆっくりと麻衣から遠ざかった。
 椅子に腰をかけ、眠り続ける麻衣の手に真砂子は少しだけ頭を垂れて自分の手を重ねる。
 3人はその様子を黙って見ていた。
「女性、・・・おそらくあたくしたちと同じ年頃の、外国の方だと思います」
「外国人?麻衣が夢に見た少女か・・・?」
「説得を試みます」
 再び真砂子は口を閉ざし、病室に沈黙が下りた。
 しんと張りつめた空気が、病室を支配する。
 綾子と滝川とナルは、真砂子の邪魔にならないよう壁際に立っていた。万が一に備え、滝川は独鈷杵を手に持っている。真砂子が試みるのは浄霊だが、うまくいくとは限らないのだ。
「!」
 しばらくして、麻衣がぱちりと目を開けた。開けた目は充血し、表情がゆがみ、ぼろぼろと涙をこぼす。
『誓いたかったの、ステンドグラスに素敵な彼と幸せな未来を誓うのが夢だったの、それだけなのに!!』
 窓の開いていない病室に、さっと風が吹いた。麻衣は一度眼を閉じ、全身に入っていた力が抜けた。
「麻衣、麻衣」
 真砂子の呼びかけに応えるように、今度はゆるりと瞳を開けた。
「あ、れ・・・?」
「麻衣!」
 麻衣は焦点が合わずぼんやりと天井を見つめたのち、自分を呼ぶ3人の声に我に返ったように何度か瞬いた。
「綾子、ぼーさん、それに真砂子・・・。真砂子、あれ?どうして?これは夢?」
 いるはずのない真砂子を見つけ、麻衣は首をかしげた。
「夢なんかじゃないですわ。誰かさんが心配で、思わず駆けつけたのですわよ」
「え、え?」
「松崎さん、念のため麻衣に護符をもたせてください」
「用意してあるわよ。はい、麻衣。ちゃんと身につけておいてね」
「え?うん、・・・え?」
 状況が把握できないで戸惑う麻衣だが、一同は安堵のため息をついた。
「麻衣、具合はどうだ」
 麻衣を囲むように立つ三人に少し離れ、入口のそばからナルが声をかけた。
「具合、は、悪くないよ」
「痛いところは?」
「痛いところも・・・ないよ」
 確認するように腕、肩、足、腹と視線を動かしつつ、麻衣はうなずく。
「じゃあ聞く。麻衣、昨日のことはどこまで覚えている?」
「ちょっとナル、いまは麻衣を休ませてあげるべきでしてよ」
 さきほどまで昏睡状態だった麻衣に容赦なく質問を始めたナルを真砂子がたしなめるが、麻衣はそんなふたりを交互に見て、ようやく口元をほころばせた。
「大丈夫真砂子、ありがと」
「麻衣・・・」
「ええとつまり、あたしはどこかで突然寝てしまったってこと?ここは・・・病院?」
 自分の服装と周りの雰囲気でそう判断したのだろう。
「ここは病院だ。麻衣は昨日、スーパーで買い物途中に倒れた。原さんの霊視では、少女が憑いていたらしい」
「スーパー・・・少女・・・」
 単語を口の中で繰り返し、麻衣は記憶の糸をたどる。
「原さん、ちなみにいまは浄霊に成功したんですか」
 ナルの言葉に、真砂子はゆるゆると首を振った。
「だめでしたわ。なかなか説得に応じてもらえなくて、何を言っても的外れな感じでしたの。最後は麻衣の口を借りて・・・そのあとどこかへ消えてしまったようです。近くに気配を感じませんから」
「そう言えば麻衣が目を覚ました瞬間、ずいぶん流暢に英語で喋ったわよね」
「麻衣の英語能力での発音とは思えなかったから、『外国人の少女』が喋ったんだろうな。・・・ジーンと同じか」
「・・・どうせあたしはカタコトの英語しか喋れませんよ」
「少なくともアジアっぽい顔立ちの方ではなかったですわ」
 真砂子が袂で口を隠しながらふふふと笑った。
「で、麻衣。どうだ」
「うんー。スーパーに行ったのは覚えてるかな。けど、何をしていてどこで倒れたのかははっきりとしない」
「じゃあ、憑依していた相手のことはなにかわかるか」
「・・・分からない、夢も、見てない」
「おそらくですが、麻衣は深く憑依されるのを防ぐために、自ら意識を手放したのではないかと思います。初め、麻衣を見たときに『深く入り込んでいる』と思ったのですが、実際には深く入り込もうとはしていたものの、麻衣の意識を完全に乗っ取るには至っていませんでした」
 だから初見の印象に比べると思いのほか簡単に離れていった、と真砂子は言った。深く憑かれていなくてよかった、と。麻衣から収穫を得られなかったことに対する不満がありありと出ているナルに、すかさずフォローを入れた形となった。
「さすがセンシティブ」
 滝川がぽんぽんと麻衣の頭をなでた。



「おかえりなさい」
 結局、病院で時間をとられ、麻衣がベースへと戻ってきたのは昼に足がかかったころになった。そんな麻衣を迎えたのは、暖かい安原の笑顔とそして、リンの会釈だった。
 真砂子はこちらまで来ることができず、まさにとんぼ返りで帰って行った。正直、今回は真砂子の霊視がないのは痛手になりそうだったが仕方なかった。あくまで真砂子は協力者であり、真砂子自身の用事が優先されるのは当然である。
「麻衣、あんたちょっと休みなさい。ほら、ここに座って」
「えー、もう大丈夫だよ」
「若いと思って油断してると、後からくるんだからなー。いいから座れ」
 麻衣は綾子と滝川に挟まれ、押されるようにソファへと腰かけた。安原もどうぞとお茶を出したりするものだから、まさに至れり尽くせりである。
「リン、動きは」
「朝、八時過ぎに一度チャペルの気温が下がりましたが、気温以外の動きはありませんでした」
「八時過ぎ・・・。麻衣から離れた少女の霊が戻ったか」
 時間としては合う。しかし、あくまで予想の範囲を超えない。
「安原さんの方はどうでしたか」
 待ってましたとばかりに安原がうなずく。
「こちらのチャペルへ物品を提供した教会は二件あったんですが、どちらもここから直接行ける距離ではないので、電話やらつてを駆使して調べたんですけども」
 言って、安原がメモを広げた。
「ここのチャペルの長椅子、パイプオルガン、そして一番大きな照明がダルティン教会からとなっていてます。ダルティン教会は、北関東にある古い結婚式場内にあった教会で、いまはもうありません。どうも経営悪化と老朽化によって取り壊しが決まったものを譲り受けた形のようです。経営悪化の原因はいろいろあったようですが、このように譲渡される例は特に珍しくはないようです。それと、その結婚式場にまつわる心霊現象などの噂はなかったようです」
 そして、と安原は一度言葉を区切る。
「ここからが本題です。もう一つが、セント・エヴァント教会。ステンドグラスを移設しているんですが、これは英国の教会でした」
 ナルが目を細め、麻衣、綾子、滝川も反応する。
「こちらは、火事で燃えてしまい、いまはない教会です。火事にあった後、再建されることなくステンドグラスだけこちらに移設したようです」
「よくもまぁイギリスの教会のことがわかったな。有名な教会だったのか?」
「大学で宗教学を学んでいる知り合いを頼って調べてもらったんです。でも、あまり有名な教会ではなかったため詳細がわからなかったんですが」
 安原はちらりとリンに視線を向けた。
「・・・まどかに頼みました。ちょうど手の空いている時期だったらしく、二つ返事で引き受けてくれました。引き続き調査中です」
「とりあえずいまはここまでで十分だ。ネタは揃った」
「ネタ?」

――こんこん

 ノックの音に、全員が振り返る。
 開いたドアから覗いたのは、この結婚式場のオーナー、その人だった。




>>8

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