花嫁の涙 (9) (白い・・・) まぶしい気がして、麻衣は目を細めた。 時間の経過とともに、まぶしさは薄れた。慣れた目に映ったのは、整然と並んだベンチ、正面には説教壇、そのまま視線を上げると、大きな三枚のステンドグラス。 赤や、青や、黄色や・・・色のついたたくさんの小さなガラスが、ひとつの絵を作っている。小さなそれらはひとつひとつが光を受けて、きらりきらりと煌めく。そして光は色のついた影となって、辺りを幻想的に彩る。 (きれいだな) なにも飾らない、すなおな、心からそのまま出てきた感想だった。 光の影のあたる位置、説教壇に一番近いベンチに赤毛の少女が座っている。ふと自分の足元を見ると、小さな長方形のレンガがずらりと敷き詰められていた。 (モザイク・・・) (あたし、成功したんだ・・・) 麻衣はゆっくりと歩みを進めた。 緊張に、手が湿っているのを感じた。 麻衣は静かに少女に近寄って、あとベンチが3つほどの距離まで近づいた時、そっと声をかけてみた。 「こんにちは」 麻衣は英語が苦手だ。 言葉が通じるのか正直心配だった。 「・・・だれ?」 「!」 振り返った少女の顔を見て、麻衣は息をのんだ。そしてのんだ瞬間、自分が驚いたことを相手に悟らせてはいけないのだと気が付いた。 少女の顔は右目から鼻、口にかけて焼けただれていた。首もしかり、服も焦げ、本来は長かったのであろう髪も、長さがばらばらだった。所々赤黒い肌も見えており、さきほど後ろからそうと感じなかったことが不思議なほど、彼女は痛々しい姿をしていた。 その姿は、きれいで幻想的なこの空間に、あまりにも対照的だった。 「あの・・・」 言いかけて気がついた。日本語で喋っても通じている。というより、相手の言葉が問題なくわかる。 「ここで、なにをしているんですか?」 少女はじっと麻衣を見つめた。麻衣も、目をそらしたくなるような姿の少女の目を、じっと見つめ返した。 「おじいさんのステンドグラスを見ていたの。―――すてきでしょう」 少女は麻衣からステンドグラスへと視線を移した。 「大好きなの。小さいころからずっと、ずっと見てきた。毎週の教会通いだって、友だちはどんどんこなくなったけど、わたしは必ず参加してた」 少女はベンチから立ち上がり、ゆっくりとステンドグラスへと歩みだす。 「わたしの両親は、この教会で、このステンドグラスの前で結婚の誓いをしたの。おじいさんの作ったステンドグラスの前で。すてきでしょう?」 くるりと少女が振り向いた。同意を求められたので、麻衣はうなずいた。 「わたしの両親は交通事故で亡くなったんだけど、わたしはこのステンドグラスとおじいさんがいるから寂しくないの」 少女が、一歩麻衣に近づいた。 「両親がいない気持ち、あなたにもわかるでしょう?マイ」 突然名前を呼ばれて麻衣ははっとする。 (そうだ、この子は、あたしに憑依しようとしていたんだ) 「だから、わたしもこのステンドグラスの前で結婚の誓いをするのが夢なの。すてきな人を見つけて、ここで誓うのよ」 麻衣は、心臓がぐうっとなるのを感じた。 麻衣と同じ年頃の少女。両親を亡くし、けれど両親が結婚を誓ったステンドグラスを心の支えにして生きていた少女。自分もすてきな人を見つけて、両親のようにステンドグラスに誓うんだとささいな、年頃の少女なら誰だってあこがれるような夢をもっている少女。 けれどその夢はもう叶わない。 彼女の前に、すてきな人が現れることはもうないのだ。 みんなに祝福されて、ステンドグラスの前で永遠を誓うことは、もう決してできないのだ。 「ここは」 「マイ、これは、おじいさんの夢でもあるの」 麻衣の言葉をさえぎるように、少女は言葉を重ねた。そしてもう一歩、麻衣に近づく。 「娘を事故で亡くして、どれだけ悲しかったことか。おじいさんはたった9才だったわたしを引き取って、それはそれは大事に育ててくれたの。いつも、両親の結婚式の話をしてくれたわ。おじいさんがお母さんとバージンロードを歩いた時、お母さんはドレスに躓いて転びそうになったってところは、もうそれは何度も何度も聞かされた。ドレス姿のお母さんがとてもきれいで、おじいさんは胸がいっぱいになったって。祭壇の前でお父さんはお母さんを待ってるんだけど、渡すのが悔しくて寂しくてけどきれいな娘が誇らしい気持ちもあって、とても複雑だったんですって」 少女はさらに数歩近づき、ついに麻衣と少女はたがいに手を伸ばせば届く距離まで近づいた。 「わたしの結婚式には、また一緒にバージンロードを歩くんですって。・・・わたし、おじいさんの夢を叶えたいの」 「でも――」 「大切なひとに先だたれる気持ち、マイにはわかるでしょう。ねぇ、おねがい」 少女は寂しげにほほ笑んだ。 (どうして?) 麻衣には彼女がどうしてそんな表情をしたのかわからなかった。 (どうして、そんな顔でほほ笑むの・・・?) 次に麻衣の目に入ってきたのは、幻想的なステンドグラスでも、白いモザイクの床でも、あの少女の顔でもなかった。 「ナル、だめだった・・・」 目の前のきれいな無表情が、静かに一度深呼吸をしたのがわかった。 「頑なに、拒まれている感じ。というか、手ごたえのない感じ・・・」 「原さんも同じようなことを言っていたな。『どんな言葉も、的外れな感じ』と。なにか話せたか」 「うん、彼女のご両親の話と、おじいさんの話。ご両親、亡くなってるんだって・・・。それで、おじいさんに育ててもらったって。彼女、あのステンドグラスがとても好きで、あそこで結婚の誓いをするのが夢だったって言ってた」 「・・・・・・」 「最後、寂しそうな顔で笑ったの。なんであんな顔したんだろう」 麻衣はそこまで言うと、ゆっくりと体を起こした。 麻衣がトランス状態に入るために、サポート役のナル以外のメンバーはベースから外してもらっていた。ベースの中にはナルと麻衣の二人きりである。 なんとなく間が持たない気がして、麻衣は本当は大して気にもなっていないのに、服をぱたぱたと叩いてみた。仕方ないとはいえ、トランス状態に入った際にはだらりと床に倒れこむことになり、多少なりとも埃がついたりするのだ。 「あの・・・失敗したので、怒っていらっしゃいますか?」 あまりにも無言を続けるナルに、麻衣はおずおずと尋ねた。 「そうか、そういうことか」 「は?」 「すぐに戻る」 「はい?」 麻衣の反応などお構いなしに、ナルはさっさとベースから出て行ってしまった。 麻衣は床にぺたんと座ったまま、ぽかんとその後ろ姿を見送った。 「失敗だったのか」 「はぁ」 「ぼーずに真砂子にそして麻衣まで、今回はことごとく惨敗続きねぇ」 「はぁ、すみません」 「大して被害もないのに、ずいぶん強力な霊さんなんですかね」 「ぷっ」 安原の変な言い回しに麻衣が吹くと、安原はにっこりとほほ笑んだ。 「そこだよなー。前に麻衣にも言ったが、ほとんど実害って実害がないんだし、もういっそのこと、このまま放っておいてもいいんじゃないかと思うんだが」 「いまはよくたって、放っておいたらどんな悪霊になるかわかんないわよ」 「・・・んー。確かに、そうかもしれんけど」 滝川は、少し口をとがらせて綾子を睨んだ。 「あと、挑戦してないのはお前さんだけよ。やるか?」 綾子はもちろん負けじと睨み返す。 「もちろんやれって言うならやるわよ」 「まあまあ・・・。とにかく、ナルがなにか解決策を見つけたみたいだから、待ってみようよ」 仲裁にはいった麻衣に、綾子は冷たい視線を向ける。 「もうだいぶ待ってるわよ」 「ほんと、綾子は文句ばっかりなんだから」 「ちょっと、どこの口がそんなことを言うのっ、あんたが倒れた後、だれが寝ずに見てたと」 「そんなこと頼んでないもん」 「元気そうだな」 綾子以上の冷たい視線が、漆黒のその人から向けられていた。 「ナル」 「大元はステンドグラス職人の方だったんだ。だから、白い影は老人のように見えた」 ナルは数枚の紙を手にしてベースの中に入ってきた。 「今回麻衣はステンドグラス職人については一度も感じていないようだが、恐らく彼よりも先に少女の方に強く同調してしまったせいと思われる。『年齢と性別』『両親を亡くしている』さらに『結婚に対する不安』、三つの重なる境遇がトリガーとなって、深く同調したんだろう。麻衣が、ぼーさんの除霊の時に火を熱く感じた気がしたと言ったのも、そういった深い同調が原因かもしれない。 麻衣の話だと、少女はステンドグラス職人に対してとても固執しているようだった。彼を浄霊することができれば、少女もついていくだろう」 「浄霊って、また麻衣にやらせるつもりか? 麻衣は昨日倒れていて、さっきも一度トランス状態に入ってるんだ。体のことを考えれば」 「大丈夫ぼーさん、あたし、できる」 滝川の心配そうな顔と、ナルの顔とを交互に見て、麻衣はやらせて、と強く言った。 「あたし、やりたい。あの子とあの子のおじいさん、今度こそ絶対に浄霊させてみせる」 「ステンドグラス職人の老人は、火事で少女、つまり孫を亡くして後、後を追うように亡くなったらしい。まどかの調べでは、孫が亡くなったこととステンドグラスが異国に売られたことを最後まで嘆いて亡くなったそうだ」 「そういうことだったんだね、わかった」 「というわけで、今日はもう休め」 「え?」 ナルは持っていた紙をファイルに閉じ、そのファイルも机の上に置いてしまった。今日の仕事はもう終わり、というスタイルだ。 「体調を万全に整えて明日決行だ。失敗した際に体調を言い訳にしてもらいたくない」 「・・・・・・」 戸惑う麻衣の手を、綾子が引っ張った。 「麻衣、じゃあ今日こそ美味しいもの食べよう。ぼーず、車出して、スーパー行くわよ!」 「りょーうかーい」 滝川はさっさとベースを出て行った綾子と麻衣を追いかけ、扉の前で一度ナルを振り返った。 「ナルちゃん、大人になったな」 ウインクした破壊僧を、冷たい、凍るような視線で返し、ナルはソファに腰を下ろした。 「賢明な判断ですね」 「リンまでなにを。今日はもう、麻衣にトランス状態に入る体力は残っていない。いまここで急ぐ理由がない」 いつぞやの強行軍を棚に上げた発言だが、リンはうっすらと笑ってそれ以上は何も言わなかった。 「所長、スペシャルなお茶です。どうぞ」 「・・・・・・」 安原に至っては、絶対零度の視線さえさらりと流すのだからさすがである。 |